2016.09.14

今晩は麻婆ゴーヤどうふ。

 

さいきん会社のお仕事が洒落にならないくらいおかしな状況で、

心身ともにゴリゴリ削られているのがわかる。

新しくはじめた漢方薬のおかげか、ここ数日は仕事から帰ってきてもまだ元気が残っている。

縁日ですくってきた亀は、甲羅の中でだんまりを決め込んでいて元気なのかどうなのかわからなくて心配だったけれど、きょうはすこし動きを見せてくれて少し安心。いまだあまり動かずじっと息を潜めてはいるけれど。とりあえず、死にそうには見えない。

いまもふと見やると甲羅から首をぐっと伸ばしていて、ああよかった生きている息をしていると安心していると、こちらの視線に気がついたのかまたさっと首を引っ込める。

 

亀はうまくすれば20年以上生きるらしい。

それはこれまで生きてきた時間とほぼ同じだ。

だからだろうか。今週の頭くらいからこれからの25年を考えている。

ずっと今の会社にいるのかしら。

いるとして、この会社でどういうふうに進んでいきたいのかしら。

さいきん会社の中でのありたい姿がすっかりわからなくなってしまった。

入社した頃は、ぼんやりとではあれど、なにかあったように思うのだけど。

会社のお仕事のほかに、仕事を持ちたいな、と思う。

別にお金にならなくてもいい。

ただ、会社を通じることなく、「社会」と接したいと思う。

演劇をしたい。

だましだまし、準備を進めている。

 

会社の中での自己の理想像は見失って久しいけれど、

会社の他に仕事の場所を持つことへの憧れはずっと残っている。

遅すぎるということはいつになってもありえないけれど、いい加減、行動に移さないといけないころあいだ。

 

とりあえず、書くことを再開してみる。

今回は、おいしい晩ごはんの備忘録も兼ねて。それだけでもいいから毎日書きたい。

何度目かわからないけれど、こうやって何度だってはじめてみるしかないのだと思う。

 

 

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2016.07.31

夥しいヴァリエーションでぼくら若輩者を追い込む「昔はよかった」という言説のひとつに、
近所のおっかないおじさんの存在というのがある。

近所のおっかないおじさんは、よそのうちの子供だって平気で叱り飛ばす。
そうしたおっさんたちは、家庭や学校の内輪のルールやしがらみとはまた別の「世間」を教えてくれる大事な存在だったんじゃないか。
おっかないおっさんの不在は、子供たちを家や学校のなかに閉じこもりきりにして、世間に通さなきゃいけない義理を教わる機会がなくなってしまった。お、いたわしや現代社会。

以上のような言説は、数年前まで耳にタコができるほどありふれていたように思う。
僕はそうしたおっさんが幅を利かせなくなったいまは、昔と比べてなんていい時代になったんだろうと思う。

自分を律する品性を司る脳の器官は他よりも早死にのようで、年を食うと多くの人は自身の狭量を隠しておくことができなくなるらしい。
いまでも電車なんかでは若いもんに大きな声で文句を垂れたくてしょうがないじじいと出くわすことがある。さみしいんだと思う。

自分のさみしさをまぎらわすために不機嫌をほうぼうに垂れ流すのは、みっともないことだよ。
みっともないし、許されちゃいけないことだ。

銀座線のホーム、白線の内側でポケモンGOに興じるサラリーマンを、通行の邪魔だと怒鳴りつけるじじいをみて、そんなことを思った。
ああいうじじいが町々の道角にありふれていたという「昔」を思うとぞっとする。

他人のあり方に平気で口を出してくる下品は、近所のおっかないおじさんがなりをひそめた今も、残念ながらありふれている。
みんな、他人に興味関心を持ちすぎなのだ。
ぼくが「人が好き」「仲間」「コミュニケーション第一」みたいな物言いが大嫌いなのは、そうした見境のない他人への興味関心は人を「お局」のようにするからだ。
ひとは誰かに興味を持つと、いつの間にやらその誰かのあり方に口を出すようになる。
「あなたのためなのよ」「みんなが迷惑しているの」なんて言いながら、そこに「あなた」も「みんな」もいなくて、ただ「あなたに興味を持った私の気に入るようなあなたであってほしい」という気味の悪い欲望だけがある。
他人に興味を抱き、他人のあり方に自身の欲望を投影してしまうのはやはりさみしいからなんだと思う。
けれどもさみしさは、他人を侵していい理由には決してならない。

「多様性は、隣人への無関心によって保たれる。」
きのうツイッターにそんなことを書いたら奥さんにふぁぼられた。
そう。ぼくももっと気をつけなくちゃいけない。
うっかりすると、奥さんの関心のぜんぶに関心を持ちたくなってしまう。
でも、興味のないことはそのままにしておいたほうがいいのだ。
一緒にやってみるのは、興味の湧いたことだけで十分。

近所のおっかないおじさんの下品は、町からだいぶ追い出されたようだけれど、家族や友達など、身内から受ける下品はまだまだ根強く許されている。
許していてはいけない。
家族というのは、最も近しい他人のことなのだから。
他人の言動に向けた「あなたのため」という戒めは、「自分の思いどおりであれ」というエゴに他ならない。
他人は思い通りにならないから他人なのだ。
思い通りにならないままに、放っておくのがいい。
互いに決して交わらない側面を「これも自分」と大事に抱えながら、相手とまったく違っていることを悪びれず、ただ一緒にいられればいい。

SNSを駆使した個人がそれぞれ勝手にビッグブラザーを演じてますます息苦しい空気の中で、
ぼくは無関心をもてはやそうと思う。

2016.06.10

まだ「子供」と呼ばれても違和感のなかったころから、過ぎた日々を思い出すのが好きだった。
寝る前のお茶の時間。そう、うちには寝る前に家族でお茶を飲む習慣があった。
そのときにあのときの誰それはこうだった。そのとき自分はこんなことを思っていた。
そんな話を次々に取り出しては、よくそんなこと覚えてるね、と言われるのがくすぐったくて好きだった。
なによりも食べ物のことをよく覚えていた。
多くの記憶は、その前後に食べたものと結びついていて、道の駅のおいしくない山菜そばは、そのあとに足を濡らした川の冷たさを連れてくる。
大きな石を積み上げて川の流れを分断して遊んだり、ぬるぬるした石で足を滑らせてひやりとしたり、そういう感覚は山菜そばによって蘇る。
勉強をしていて行き詰まると、角砂糖でも舐めておけば覚えられるんじゃない、と言われるほどに食べ物をきっかけに思い出されるエピソードは豊富だった。

さいきんは、ほとんど何も覚えていられない。
中学高校の記憶はほとんどない。
大学の頃の記憶もあやしい。
そもそも社会人になってからのことだってあぶない。
そういえば頭の中がずいぶん静かだ。
よく覚えていたころは、ずっと頭の中で喋り続けていた。
家族の前で自分の記憶を引き出すときだけ、そのお喋りが外に出てきていたのかもしれないとも思う。外に出ていないだけで、僕はいつでもうるさかった。
いつしか家族といる時間より、外にいることの方が多くなり、その分口数が減っていった。
一時期はそのぶんツイッターなんかに発散していたけれど、それすらしなくなった。
頭のなかの饒舌はすっかり消えて、いまでは自分がまともにものを考えているのかどうかさえあやしい。

年を重ねて、思い出すことが多くなったからかもしれない。
手札が少なければそのぶん素早くカードを切れる。
いまではそもそもどこになにをしまったのかさえ分からなくなっている。

意識的に、言葉に起こしていかないといけないと思う。
仕事にしても、遊びに行くときだって、感覚は感覚のままで立派な思考だけれども、言葉に起こさなければひとには伝わらない。伝わらないどころか、自分自身に出力されることさえないとまでいまは思う。
さいきん自分のことさえどこか他人事のようなのは、たぶん言葉が足りないせいだ。
自分というのも他人だから、ちゃんと言葉で「いまはこういうことを感じているんだよ。考えているんだよ」と言い聞かせてあげないと、どんどんよそよそしくなってくる。

あたまのなかにお喋りを取り戻そう。
できるだろうか。
あたまのなかだけではできなくなるから、書くのかもしれない。

2016.06.02

前回の文章はiPadを使って書いた。

予測変換のある媒体で打ち込む文章は、キーボードで打ち込む言葉よりもぼんやりとする。

雰囲気だけでどんどん前に進めてしまうから。

 

ここ数日ほんとうに無気力で、鬱っぽい。

季節の変わり目なんだな、と思う。

 

とくだん言いたいことも、考え事も、楽しいことも、悲しいことも、なにも思い当たらず、ちょっとこれは良くないなと思い、こうして書いている。

 

書き出したのは、そういう、セルフケアのような意味もあるけれど、うちの人がまだ帰ってこず、一人の時間ができたからというのもある。

うちの人はこれまで、だいたいぼくと一緒の時間に家を出て、ぼくよりも先に帰宅していた。

けれども部署だかが変わって、これからはぼくよりも早く家を出て遅く帰るようになるらしい。

これから自分の仕事がどんどん忙しくなるのが目に見えていて、うちの人との時間がなくなっていくのがすごく嫌だった。

けれども、うちの人のほうが先に忙しくなってしまった。

 

ここまで書いて、さいきんの憂鬱の主な原因は、「自分がこれから忙しくなり、帰れず休めない状況に置かれるのが目に見えている。けれどもぼくはなるべく多くの時間をうちのひとと一緒に過ごしたい。そんな気持ちはお構いなしに、じわじわ仕事が忙しくなてきているのがわかる」というものだったのだと思い至る。

ぼくはうちの人とずっと一緒にいたくて、けれどもそれがぼくの都合で叶わないというのが、自分で思っている以上にストレスだったらしい。

うちの人が忙しくなった途端に、鬱憤がちょっと晴れている。

うちの人の忙しさは、ぼくの忙しさ以上にどうにもできないからだと思う。

どうにもできないことは、思い悩んでも仕方がない。そういう諦めの良さだけは、なぜだかずっと持っている。

このままうちの人が忙しければ、ぼくも仕事で遅くまでねばることを躊躇わなくなるかもしれない。

これからは夕飯について工夫しなくちゃいけないな、と思う。

これまでは、ぼくより早く帰ったうちの人が夕飯を作っていてくれた。

うちの人のご飯はとても美味しくて、「きょうはこのご飯を食べたから、なんだかんだいい日だったな」と思える。

まだぼくが早く帰れるうちは、ぼくが「いい日」を作っていけばいい。

10分でも20分でもうちの人より先に帰れたのなら、そこからちゃちゃと作れるようなレシピをたくさん覚えよう。

うちの人の朝が早くなった分、そこで一緒に起きだすことができれば出勤までの時間に余裕ができる。そこで夕飯を仕込んでおくのもいかもしれない。

夏が来るからちょっと気を使うけれども。

 

「なんでこんな忙しい会社に入ってしまったんだろう」と考えているうちは落ち込むばかりだった。

たとえば、会社なんかよりもずっとずっとうちの人が大切で、けれどもそういう価値観は、サラリーマンを続けているうちは不満ばかり引き起こしていいことないじゃないか、であるとか。

たとえば、いまの生活が好きでいると、それはそれでいまの状態が失われることの不安で落ち着かなくてしんどいな、であるとか。

余計なことばかり考えるようになってくる。

 

そんななかじっさいにうちの人が忙しくなって、「この二人とも忙しいなか、どうやってご飯も睡眠も諦めずにやっていこう」と考え出すと急にすこしましな気持ちになってきている。

一番いいのはドリームジャンボが当たって、ふたりとも働かなくてよくなることなのだけれども、ドリームジャンボはなかなか当たらないので、当たるまでは働かなくてはいけない。

いままでどおりとはいかなくても、いままでのように楽しく生きていくことはできる。

きっとできる。

いや、あんまりに忙しいとくじけちゃう日もあるとは思う。

そんな日には宝くじを買うようにしよう。

 

 

 

 

 

 

2016.05.22

鏡を見るときにはあまりないことなのだけれど、ふいに窓に映り込んだ自分の顔を発見すると、老けたな、と思う。
老けたというと言い過ぎかもしれない。
けれどもセルフイメージとしての「童顔で、吹けば飛ぶように薄い顔」という自分より、よっぽど時の刻まれた顔つきになってきている。
熟成された塩顔。

年相応の、顔立ちを得ることができたのだと思う。
いままでは、耳年増の子供のような、苦労を知らない顔をしていた。
その顔は可愛かった。
女の子にモテようがモテなかろうが、可愛いさはそれ自体が喜びだ。
顔の可愛さはだから、他人からの評価で決まるわけではない。
自分の納得と満足の深さだけが、可愛さのものさしなのだ。
けれども、いまの僕の顔は、そうした納得や満足はとうてい得られないようなものになってしまった。
ぼくの顔は、外に向けた顔になった。
子供のころ「大人というのは、丈夫そうな顔をしているものだ」と思っていた。
ぼーっとしているとのっぺらぼうのようになる自分の顔も、いつかああいう、味のある、というか、読みごたえのありそうな顔になるのかしら。
そう思いながら、内容のなさが透けて見えるような、淡白な顔をながめまわしていた。
いまももちろん作り自体は非常にミニマリズムの産物といった具合だ。
それでもなんだか、子供のころ大人たちの顔に感じた「丈夫さ」の感じられる顔になったように思うのだ。
この「丈夫さ」の正体はなんなんだろうな。
肌のつやのなさかしら。
ひげの濃さかしら。
毛穴のくすみかしら。
ちょうど今のぼくの年頃は、お肌の曲がり角だという。
曲がり角にあって、相応に年月をはっきりと刻んだ顔に対して、ものごころついたころから代わり映えのしない精神年齢が、「すごーい、ぼく大人みたーい」とはしゃいでいる。

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みたいじゃなくって、もうとっくのとうに大人なんだよな。

ぼくの顔は、知ったような顔でそう言っている。




2016.05.21

 

幼稚園時代からいつだってずっと帰りたかった。

一秒でも早くお家に帰りたかった。

小学生のころ、帰りの会で先生の話がいつもよりちょっと長かったことに憤慨して話の途中で帰ろうとしたことがある。帰れたのかどうかは覚えていない。

中学生のころ、トイレでガムだかタバコがみつかったとかいう阿呆みたいな理由でクラス全員が居残りさせられての取り調べが行われるというので、授業が終わったらすぐ音もなく教室を抜け出してそのまま帰ったことがある。

高校生のころ、部活に精を出す同級生たちを心底ばかにしていた。わざわざ放課後にまで他人に管理された時間を生きることを良しとするなんてばかなのかと。

だから僕はチャイムと同時に駐輪所に駆け出し、ものすごい勢いで坂を下って家へと急いだ。帰ったら何かやることがあるというわけではない。学校は決して好きではなかったけれど、いるだけで息苦しくなるようなところでもなかった。帰る理由なんて、いつだってなかった。ただ、帰りたいから帰ったのだ。

そう。とにかく、ぼくはいつだって帰りたかった。

上のツイートを見かけたとき、そんなことを思い出した。

会社にいると、なんでそんなにみんな帰ろうとしないんだろう、という場面にいくつもいくつも出くわす。

無理してでも帰れよ。やる気あんのか。

そう思った。

けれども、部活のことを思い返して、気が付いたことがある。

もしかしたら、あの人たちは帰りたくなんてないのかもしれない。

あの人たちは、部活気分で仕事をしているのかもしれない。

そういえば、部活に精を出していた同級生はみな口を揃えて「帰っても何していいのかわからないし」と言った。

当時のぼくは「自分の時間すら他人に丸投げするなんておもしろくないやつらだ」くらいにしか思っていなかったけれど、そもそも彼らは「自分の時間」というものに魅力を感じていなかったんじゃないか。

彼らにとってたいくつで華のない「自分の時間」なんて、恥ずかしかったり、つらいものでしかなかったのかもしれない。そんな身のないものを大切にするよりも仲間とともに「自分たちの時間」をつくって、それを誇りに思い、大事にしていたのかもしれない。

これは気がつかなかったなあ。

 

学生のころ部活をして身についた「根性」のおかげでみんな無給でもへっちゃらで休日出勤や残業に励むのかな。

自分で自分を管理することに不安を覚え、誰かに管理してもらうことを求める。

そういう「奴隷根性」はみんな部活で教えてもらったのかしら。

そうじゃないんだろうな。「奴隷根性」は、きっとみんな持っているものなんだ。

それは思考停止への甘い誘惑だ。

こっちにきて言うことをお聞き。なにも考えなくっていいんだよ。

そんなこと言われたら、僕だって、けっこうぐっとくる。だいたいのことは決めてもらいたいし、なるべくなんにも考えたくない。考えすぎると頭が痛くなってくるんだもの。

うんうん、わかるわかる。どんどん意地悪な気持ちになってきた。

 

余計なことばかり言いそうなのでちょっと違ったふうに考えてみる。

学生のころみんなが部活に精を出していたのは「お家を大事にすると格好悪い」という、思春期らしい気分もあったのだと思う。

週末にジャスコでお母さんと一緒に買い物をしているところをクラスの誰かに見られたら死ぬほど恥ずかしい、というような。

ちなみに僕は家族より友達を大事にすることをダサいことだと決めていたので、休日はだいたい両親とジャスコアピタに買い物に行って帰りは10キロのお米とか持つ係をやっていた。

そう、ここまで書き進めて気がついたけれど僕はひとつ大きなことを言い忘れていた。

部活にせよなんにせよ「お家以外に居場所がある」ということは救いにもなるということだ。家よりは部活の方がマシ、という家庭が僕の想像よりもうんとありふれていることは、よく知っている。けれどもそれは知識であって僕の実感ではない。実感できていないことについて書くことはよす。

僕の実感はただひとつ。この帰りたさだけだ。

この帰りたさは、生まれてこのかた自分で選択できないものごとによって苦しんだことのない甘ちゃんの甘ったれでしかないのかもしれない。

なんでもかんでも自分の思い通りになると思うなよ。

安心して帰れる家があるだけでありがたいと思え、という話なのかもしれない。

うるせえこのやろう、である。

甘えであろうと何だろうと、おれは帰るぞ。なんとしても帰ってやる。

この帰りたさだけが、おれの実感だからな。

これだけは、大きな声で言うことができるぞ。

おれは、帰りたいんだ。

 

なんでこんなに帰りたいのか、いちど冷静になって考えてみた方がいい。

なんてことを言いつつ、答えははじめのほうにさらっと書いてしまっていた。

ぼくは“他人に管理された時間を生きる”ことに対してつよい拒否反応を示すらしい。

なぜかって、ぼくは“他人に管理された時間”のなかで主体的にいきることがおそろしくヘタだからだ。“他人に管理された時間”のただなかで、ぼくは他人に管理されることしかできない。授業中に指されてもいないのに先生に向かって軽口を叩けるようなタイプの生徒じゃなかったのだ。

部活や会社に精を出すタイプの人間は、授業中に指されてもいないのに先生に向かって軽口を叩けるようなタイプだし、ひとが深刻そうに話し込んでいても構わず「おはよーございまーす!」とか元気に挨拶できちゃうタイプだ。決定的に管理下から転げ落ちるようなことはぜったいになく、じょうずに許される範囲内で自分のペースをもてる人たちなのだ。

ぼくにはできない。

管理されるのはよっぽど気を使う。

油断するとすぐコントロールの外にはみ出る。

自覚もないまま過激派扱い。

やたら目をつけられる。

ひどいや。

無自覚にうまくできること、どれほど神経をすり減らしてもうまくできないことというのがある。

多くのひとにできて、僕にできないのは、“管理されつつ我を通す”ということなのだ。

自分ができないことを、ほかのひとたちがなんでもなくやってのけるのを見せつけられるのはしんどい。

僕は“他人に管理された時間”が苦痛で仕方がないくせに、“他人に管理された時間”のただなかにいる自分をうまく管理できず、けっきょく誰よりも他人に自分を明け渡してしまっている。

自分の時間を他人に丸投げしているのは、ぼくのほうだった。

ただ勢いに任せていい加減に書き進めてきたけれど、きっとそういうことだったのだ。

そうか。

なんだかちょっと落ち込んできた。

どうしたら、会社で「いい子」に縮こまることをやめられるかなあ。

いや、さっさと帰ってる時点で「いい子」ではないのか。

袋小路に入り込んだようなので、きょうはここでおしまい。

 

 

2016.05.18

「幸せな生活っていうのはさあ、コンテンツ力が低いよねえ」

いつだったか、うちのひとが言った。

それから我が家では「コンテンツ力が低い」が流行語となった。

 

 

新婚生活はどう。

飲みの席でそう聞かれて「毎日好きなひとと眠れるのはしあわせです」だとか、そんなこと答えても白けるだけだ。結局は先輩たちの婚期逃しそうでやばいという話に華が咲き、ぼくはすこし居づらくなる。

twitterでも、モテなさそうな人たちからどんどんリムーブされた。

生身の生活も、SNSでも、不幸のエピソードというのは面白い。コンテンツ力が高いのだ。

ノロケや自慢はよっぽど技術がないと面白おかしく話せないが、不幸自慢はどれだけ口下手であれある程度ウケる。

不幸の方がドラマチックで小噺として華があるからだ。

それだけでなく他人の不幸話は「まだ自分の方がマシ」と安心できたり、「ざまあみろ」とスカッとする。他人よりも自分の方が「しあわせ」だと思えることは気持ちがいい。

 

 

うちの近所には縁切りのお社があって、そこの絵馬を覗いてみるとすごい。

「お父さんが松葉杖と早く縁が切れますように」

「弱い心と縁を切る」

ここらへんは少数のほほえましい例だ。

「迷惑なお隣さんがさっさと引っ越しますように」

「誰それと誰それとが円満に離婚できますように」

大半はこういうもので、いかにも縁切りスポットといった感じ。

そんななかで強烈なのが次のようなもの。

「自分よりも性格も悪く主体性もないナントカさんが、自分より世渡りがうまく勝ち組人生を送っているのが許せない。ナントカさんが事故や病気でこの世と縁を切れますように。さっさと死にますように」

すごい。しかもこういうのが一枚や二枚ではないのだ。

世の中の公正さを信じる心の哀しいこと、他人をやっかみ自分を省みない無邪気さ、簡単に「死ね」とか言えちゃう想像力のなさ……

顔も名前も知らない誰かさんへのあてこすりはいくらでも浮かんでくるけれど、わざわざそれを書き起こそうと言う気にはならない。

自分の不幸にがんじがらめになって、絵馬に呪詛を書き殴らずにはいられなくなった人たちのことを、余裕のあるぼくは想像することができる。

それはどんな不幸だろうと想う。

幸運にも彼らより知性も品性もあり、それを保つ生活の余裕もあるからこそ、こうやって想像することができるのだということも、彼らの生活と僕の生活とがまったく何の関係もないことも、理解している。

関係ないから、ほんとうは興味もあんまりない。

興味を持たなきゃとも、さっぱり思わない。

 

 

誰が不幸であろうと、誰がしあわせであろうと、僕の生活の良し悪しには何の関係もない。

そんなことすら知らずに生きてきた人。そんなことすら見失ってしまった人。

そうした人がすくなくないこと、そうした人たちを生み出してしまう社会の構造を思うと、だいぶ暗い気持ちになる。

仕事も家庭も手に入れた僕は、「死ね」と言われる側に立っている。

 

 

一億のルサンチマンをもってしても、10人の富裕層はびくともしないだろう。

資本主義は、残念ながら俺よりはずっと長生きだろうし。

そうしたニヒルな諦念から富裕層を客にとる仕事を選んだ。

自分と関係のない他人の「勝ち組人生」で飯を食うことを平気で決めちゃったくらいなので、もとからぼくには他人の生活を自分の生活と較べるという発想に乏しいのかもしれない。

とはいえそれでもお金がないことは苦しく、仕事に疲れたりすると、うっかり「金持ちはいいよな。その湯水のように余ってる金を少しこっちによこせよ馬鹿野郎」みたいなことをこぼしたくもなる。

 

 

子供を持つとして、奥さんの分の収入がなくなったうえでいまの生活水準を維持できるようになる日はくるのだろうか。

帰る時間がどんどん遅くなり、休日もなくなっていく。そのうえで残業代も出なくなるのがわかりきっているこの会社できちんと働き続けていけるんだろうか。

オリンピックに向けて、着実につまらなく整備されていく街々とともに、亡くなってしまうものはどれほどあるんだろう。

憲法すら守ろうとしない、権力というものがどういうものか自覚できていない人たちが動かそうとしているこの国はどれだけひどいことになってしまうんだろう。

このままいくと、なにをしても「正しさ」に難癖つけられて、息もできなくなる社会にしか辿り着かないだろう。

 

 

未来を想うと暗い。

けれども未来が明るかったためしがない。

ついこの前まで、会社に使い捨てられ、誰からも相手にされず、ひとりぼっちで、他人の生活へのやっかみに狂って「死ね」と書き散らすようになる未来を想像して、叫びだしたくなるような夜を過ごしていたのだ。

それがいまや、なんとかなっているどころか、満足な豚のような生活を送っている。

たしかに奨学金という名の借金も膨大だし、一億総貧困へと向かっていくようなこの国で生きる若者らしく、夢も希望もお金もたいして持っていない。

それでも当分は潰れなさそうな会社に勤め、大好きな奥さんと暮らすいまの生活は楽しい。

毎日ただ家に帰ってくるだけで嬉しいし、目を合わせてにこりとするだけで満たされる。

 

 

このまま死ぬまで、なんとかなりつづけるといい。

のんきに暮らしているだけで済ませてしまいたい。

どうか、持ちこたえてくれ、資本主義と平和。

どうか、余計なことばかりしてくれるな、国。

 

 

七億円当たらないかな。

そうしたらちょっとは安心できるんだけど。