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2014.11.13

好きだと言い切れるものがめっきり減ってきた。

好きだという気持ちが静かになってしまった、というほうが正確かもしれない。

シェアハウスに引っ越して、あたらしい人たちとの交流用にこのブログと一緒にtwitterアカウントを新調した。せっかくだから自分のひととなりを分かりやすくしようと思い、自己紹介の欄を、twitterというものを腐海のように拡大していくコミュニケーションツールとして使っている人によくある感じの、あのスラッシュで自分の好きなものや興味のある分野についての固有名詞を羅列していく方式で書いてみたいと思い、さあ俺はいったいどんなものを愛しどんなものから形作られているのかな、と書き出してみると、はたしてなかなか思い浮かんでこないのだった。

むりやり捻り出す形で、ようやく書き上げたのはこんなふうだった。

Monty Python/SHERLOCK/フルハウス/水曜どうでしょう/シャーマンキング/保坂和志/菊地成孔/毛皮のマリーズ/the pillows/猫/ダルデンヌ兄弟/ロイ・アンダーソン/フェリーニ「卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」”

 

たしかにここに挙げたものたちは大好きだ。

けれども、「これが自分を形作っているんだ」というような、胸のカーッと熱くなるような想いは、ここにはない。かつてはあった。

人生の道標だった「You know, you come from nothing - you're going back to nothing. What have you lost? Nothing!」という言葉が、万能でなくなったのはいつからだろう。いつしか、手放したくない大切なものや人がたくさんできてしまった。

「人生は祭りだ。ともに生きよう」という台詞にこの世界のすべてを解き明かされたと思っていたのに、いつの間に疑ってしまっていたのだろう。

高校からの帰り道、自転車かっ飛ばして、ヘッドホンでがんがんに音漏れさせながらブルース・ドライブ・モンスターを待っていたあのころの熱い気持ちはもうない。

太宰治や志磨遼平を「なんじゃこりゃまるで俺じゃないか!」と愛憎混じった気持ちで目を離せないでいた俺は、いつの間にやら他人みたいだ。

好きな気持ちがなくなったわけではない。なんだか醒めちゃった、というわけでもない。いまでもすごくすごくすごくすごく好きなものや人たちばかりだ。

ただ、これがなきゃ俺が俺じゃなくなるとでもいうような、切実さは、熱さは、自己陶酔は、戦争は、もう自分の中にはない。

 

ちと物足りなくはあるけども、それは悪いことではないんだと思う。

いまになって、ようやく、自分が自分のままで自分になったということなのかもしれない。

それはきっといいことだ。

ようやく大人になりました。

ただ、その分文章を書くのが余計にへたになったみたいだ。そもそも書く気力も落ちている。

これからは好きな人の猿真似や、好きな人たちの好きなものの見よう見まねではなく、自分のままでなにかを書かなくちゃいけない。

第二の自己形成期がやってきた。

成長はしんどい。本来人は成長なんてするべきではないのだ。しないで済むならしないに越したことはない。

それでもまあ、ものごとは自分の都合や理想にはお構いなしで動き続け、変わっていく。自分の気持ちさえもそうだ。仕方がないから、懲りずにゆっくり練習し直していこうと思う。