来年開催したいイベントのメモ
リバ邸横浜企画案
「就職してでも生きるには」
【長くて特に中身もないご挨拶】
1979年に出版されたレイモンド・マンゴーの名著『就職しないで生きるには』は、いまでもこの日本で存在感を示している。
ちょうど僕が就職を考え出したころ、『SPECTATOR』という雑誌では「 WORKING! 再考・就職しないで生きるには」という特集が組まれていたし、30年前マンゴーの一冊を皮切りに始まった晶文社の「就職しないで生きるには」シリーズは、いままた「就職しないで生きるには21」として復活している。
僕はこの春就職をして、同じタイミングで会社員になった僕の大好きな友だちとこの前ひさしぶりにお酒を飲んだ。
お互い会社の愚痴をこぼしつつ、昔を懐かしんだりはしなかった。
僕はこの友だちのそういうところが好きだ。
ふと、その友だちは言った。
「こんなことしてまで生きてく意味ないし、もう死んでもいいかなって」
友だちははっきりとした顔で、まっすぐこちらの目を見て言った。
こころの底の底から、考え抜いて出てきた言葉だと思った。
人は自由だ。人はいつでもどこでも野垂れ死ぬことができる。
ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。自由とは、そういうものだ。そこには常にむせかえるような死の香りがある。
大学三年の冬、僕は釜ヶ崎のドヤで二晩だか過ごした。
そのときそういう、自由の正体のようなものを知ったように思う。
三角公園のぐるりのフェンスには、誰にも名前も知られないまま路上で死んだ、おっちゃんたちの遺影がたくさん貼られていた。
なにもかもを失っても、とにかく生きてはいける。
家も名前も失って、それでも悼んでくれる人はいる。
僕は、名前も知らないおっちゃんたちの、在りし日の写真を眺めて、ひどくほっとしたことを覚えている。
誰にも何にもとらわれず、ひとはいつだって死ぬことができる。
それが自由というものだ。
世の中は当たり前に不平等だ。
一生遊んで暮らす金どころか、年金すら貰えるかも分かったもんじゃない僕らははたらかなくては生きていけない。
とくに生きていたいわけでもないのに、だらだら生き延びるためだけに、僕や僕の友だちは就職をした。
とくに生きていたいわけでもないのに、だらだら生き延びるためだけに、僕や僕の友だちは就職をした。
労働はそれ自体尊いことか。
わからない。
会社に入って、ずるいことや、汚いことや、しょうもないことを、たくさんされた。
あまりの忙しさに、ものを考える元気がめっきりなくなって、
それでも、僕らは、はたらいて、生きていかなくてはいけない。
なぜ?
なんで、わざわざ、会社に行って、働いて、くたびれて、そんなことしてまで、
生きていかなくちゃいけないんだ。
仕事とは生き方と同義だと、レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』は教えてくれる。
はたらくことが生きていくことならば、他人に生き方をあれこれ指図されるより、
自分一人でやっていくほうがずっといいじゃないか。
そうは言っても、マンゴーさん。
俺たち就職しちゃったよ。
生きてる意味もよくわかんなくなってきたよ。
そもそも意味なんてないんだけどさ。
そんなこと、当たり前に知ってたはずなんだけど。
気づいたら、「なんで生きてんだろ」ってことばかり考えてるよ。
なぜ、俺たちは就職してでも生きていかなきゃいけないのか。
生きていくために、生きていくことを、問い直します。
就職してでも、生きていく、意味を、楽しみを、見つけたいです。
リバ邸横浜発信、世界で最も無意義な就活イベント。
「就職してでも生きるには」
はじめます。
【内容案】
・リバ横住民たちによるパネルディスカッション
住民1「就職したけど辞めたこと」について
住民2「就職しない生き方」の現実
住民3「就職しちゃった」
・生きていくこと考
読書会 課題図書:レイモンド・マンゴー『就職しないで生きるには』
・座談会
「自分の居場所をつくること」
・その他
ぶっちゃけ内容はそんな決めてない。
でもなんか「就職してまでなんでいまの生活水準を求めるの?」「はたらくことって人生を豊かにすることじゃなかったっけ」
「会社は俺たちの人生を搾取する存在だっけ」「そもそも就職だけが道じゃねえぞ」みたいなことをちょっと真面目に考える、よき就活イベントにしたい。