2015.02.23

昨晩は同居人がヒッチハイカーを拾ってきたので賑やかだった。

 
弾ける人が控えめにギターを弾いたり、歌ったりしていて、とてもいい雰囲気だった。晩御飯に当てにしていたプルコギはもうなかったのでマフィンで空腹をごまかしつつ、にこにこそれを眺めていた。
 
二人のヒッチハイカーはいかにもな気持ちのいい若者で、自信と人懐こさが控えめながらも抑えきれずにまぶしくて、思わず一緒にいるこちらも楽しい人間な気がしてくる。
 
こういう人間は愛される。
僕も好きだ。
 
彼らみたいに無邪気に「絆」だの「出会い」だの素直に言えない僕は、彼らみたいな人と出会うともうだいたい好きになるのだけど、このままでは自分は決して彼らみたいになれないことも分かっている。いい加減思い知っていると言ってもいい。
 
「絆」なんてものを無邪気に信じて「出会い」に躊躇せず踏み出せるほがらかさは素敵だ。
個人がひとりひとり自立した存在であると認めつつ、「あなたに興味があります」と伝えられる人は強い。
 
コミュニケーションの下手な人はすぐ他人の孤独に干渉しようとする。それは一つの暴力だと僕は思うし、自分の孤独をごまかすために誰かの孤独を利用するのはまったく下劣だ。
この人を自分のものにしたいという所有欲ではなくて、自分の孤独とその人の孤独が共鳴するような気持ちがする。
その人をただ知りたいと思う。
その人の孤独はその人のもののまま、決して自分のものにはならないけれど、そんな孤独を持つ人がいると知っているだけで、その孤独の存在がいつしか自分を励ます道標にもなるかもしれない。
僕はそういう人付き合いが好きで、今こうして書いていても改めて思うが俺は相当めんどくさい。
 
そんな僕は「絆」という一つ屋根の下みんな仲良しだよなと肩を組むことができない。
その行為が必ずしも他人の孤独に干渉するものではないと知っていても、その可能性を考えるとひるんでしまう。
そうしていい歳して引っ込み思案になる。
 
僕は人に「いてもいいよ」としか言えない。
一つの屋根を掲げられない。
その人の大事なものを踏みにじるくらいなら、ひっそりとそこに佇んで、いつのまにか一緒にいる。そういう静かな関係がいい。
誰一人踏みにじりたくない。
すべての個人は等しく孤独で等しく無価値だから。
孤独な個人はそれぞれに尊いなにかを持っている。
それは決して他人に侵されていいものではない。
孤独な個人はそれぞれに無価値だ。
生まれて、生きて、死ぬ。それだけ。
だからだいたいのことはどうでもいい。
それぞれが大事にしているものだけを、それぞれが大事にすればいい。
他人にとってそれがいくらちゃちに見えても、滑稽に見えても、羨ましく思われても、憎まれても、取るに足らないものだと無視されても、そんなことなんの関係もない。
自分の大事なものだけでもういっぱいだから、そんなこと気にする気持ちのスペースがない。
僕はいつでも、僕の大事なものでいっぱいだ。
 
社会人になって小さい人間の多いことに驚いた。優しくない人の多さに驚いた。
でもきっとそうではなくて、僕の方があの人たちより小さくて優しくないのだ。
僕は些細なことは気にならない。というか気にすることができない。
僕はだいたいのことをすぐに許せる。というかめったに怒りもしない。
いらいらするのはお腹が空いた時と眠い時だけだ。
それはだいたいのことは自分ではどうしようもできないと知っているからだし、いま自分が大事に抱え込んでいるほんのわずかなものことを守るのに必死だからだ。
自分でないものに関しては思い通りにならないのがあたりまえだし、抱えているものにしたって非力な自分じゃ守り通せるかわかったものではない。そもそも大事なそれらは僕の守りなんて必要としていない。いつこの手からすり抜けていっても仕方がない。それに自分ですらだいたい他人みたいだ。結局何一つ思い通りになるものなんてない。思い通りにならなくても大事に思うものだけが自分にとって必要なものだろう。それらを大事に思う気持ちに僕はいつでも守られている。
 
会社で理不尽な仕打ちにあった時、ものすごい悪態をつく同期のことがさっぱり理解できなかったのだけど、もしかしたら世の中は自分の思い通りにならないことがほとんどだということを前提に生きている人は思っているより少ないのかもしれない。
思い通りになることを期待していると、それが裏切られたとき憤慨する。それは誰しもそうだ。赤ちゃんの頃からそうだ。
大人になるにつれ人は期待をしなくなる。あるいは期待するだけ無駄な大きな期待しかしなくなるのかもしれない。それが大人になることだと思っていたけれど、思っていたよりあっちこっちに期待して諦めきれない人のほうが多いのかもしれない。
 
先日妹の家に遊びに行ったとき、妹の部屋にはカビが生えていた。
さすがにひどいと妹に言うとこんなにひどかったなんて気がつかなかったとのたまう。
笑えた。
 
それから妹とのお喋りはいつものように脱線を続けていって「みんな私のことを優しいというけれど、そうじゃなくてたぶん私にとって全部どうでもいいだけだと思う」というようなことを妹は言ってその通りだと思った。
 
だいたいのことはどうでもいいから気にならない。
もっと大事なことで頭がいっぱいなんだから。
些細なことに足を止めるひまなんかない。
どうでもいいことに腹を立てるための体力なんて残していない。
 
みんな気にしすぎなのだ。
えっと。なんの話だっけ。
疲れてきたからきょうはおしまい。
なんだかぼんやりとして、まとまりのない一日だった。
 
今晩から我が家に住民が増えた。これからは10人暮らしだ。