2015.03.13


今朝は太陽が遠い。晴れてはいるが底冷えする寒さだ。
背中がぽきぽきと鳴る。
気分が上がらず、惚けてしまう。

コーヒーを飲み身体を温める。
昨晩は10分弱走った。BGMはThe ピーズの『ゲロ犬ボウズ』
すぐに息が切れて、走るとき腹筋や背筋を使っていることがわかった。
今朝の背中の張りはこれが原因かもしれなかった。

こうして毎日益体もない文章をブログとして垂れ流す意義はふたつ。
ひとつは外に出すことで多少なりとも格好をつけたり見栄を張るので、そう簡単にへこたれないこと。
もうひとつはそれでもへこたれたときにすぐ自分のくたびれていることに気がつくことができること。そのうえで思いきりへこたれてみたり、色々と手が打てること。
文章でどうでもない日々を記録することは、生活の定点観測みたいなものだ。
生活の澱がいちいち記号化され、要素に分類されることで、なんとなく気がついていたことがはっきりとした質感をもって目の前に差し出される。己を見つめ直す、なんていうと大仰だけれど、ともかく、こうして書いていると己が他者性をもって画面上に立ち現れてくる感じがする。
このブログを初めてわかったことは僕の気分は思っていた以上に天気に左右されるということだ。
僕は夏が嫌いだと思っていたけれど、こんなにも太陽が恋しいと、夏も憎からず思えてくる。
そもそも嫌うというのはたいへんなエネルギーを要するもので、やはり嫌いなものが多い夏という季節の僕は、機嫌もいいし元気もいっぱいなのだろうと思う。
わかっていたって、気分は僕の都合にお構いなしに僕を振り回す。
けれども、なんとなくでも気分の予報をすることができれば、すくなくとも覚悟することはできる。僕はとても気分屋だから、気分にただ流されるままでは危ないのだ。大事なことは気分をいちど切り離してから決めなくてはいけない。ただ、本当に大事なことは気分ごと僕をさらっていく。

通勤の道すがら、ぼんやりと以上のようなことを考えていて、考えながら、ここに書くために文章を組み立てている自分に気がついた。
ようやく自分の中に言葉が戻ってきた。今朝そう感じた。
調子がよかった頃は、今朝のように、どこに出すでもない文章を知らず知らずのうちに頭に中で組み立てていたものだった。

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利己的であればあるほど人は魅力的だということによの悲しさを覚えるけれども、仕方がない。自分でうんと自分のことを好いてやらなくちゃいけない。

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会社帰りに久しぶりにへそまがりに行く。
Twitterで一方的に知っていた常連さんと初めての遭遇が重なって楽しい気持ち。
定食をいただきながら、たのしみなふわふわした約束をして、居合わせたお客さんのヤバくて香ばしい話を愉快に傾聴。
古本棚でみつけた本に目を落としながら、地方の劇場のわくわくする情報をいくつか教えてもらう。
いつ来てもなにかしら面白い人や話が転がっていて、ほんとうにいいところだ。


会社帰りに一時間でもこういうところに寄れると、それだけで一日の満足が違う。

きょうはひとまずここまで。

これからシャワーを浴びて、すこし同居人と話をして、早めに寝ようと思います。