2015.03.26

帰りの電車では死んだように眠る。

6時半よりは前に帰宅して、お弁当箱を洗って、お米を炊く。
熱いシャワーを浴びて、脱いだものとタオルも合わせて洗濯機に放り込む。
お米が炊けたので朝ごはんに甘じょっぱい卵丼をつくって、残りのお米は冷凍しておく。明日からのお弁当の分だ。
流しに洗い物がたまっていたのですこしかりかりしながら全部洗う。
洗濯機が終了の合図を鳴らし、だらだらと庭に干す。
今朝は日差しがあって、これから暖かくなるだろう。
身支度をする。
お金の計算をして、使うことが決まっている分は封筒に入れて分けておく。
手帳に気になる映画の封切り日や、見逃したくないお芝居の公演日程を書き込む。
買い物リストを書き出してみると案外必要なものはない。
お金もないのでそのまま午前中は家にいることにする。
ずっとぐちゃぐちゃのまま放置していた押入れの中やカラーボックスの中を整理する。
作業中、テレビとYouTubeを接続してエド・シーランのプレイリストをかけっぱなしにした。
プレイリストが終わるころにはパソコンのデータの整理に移る。
デューク・エリントンの『Money Jungle』をかける。
アルバムが終わる頃にはもう洗濯物が乾いている。
今日はいい天気だな。

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電車に乗って、また目的地まで息することすら惜しむように眠る。
伊勢丹でこのあと観るお芝居のスタッフさんへの菓子折りを買う。
この方には大変お世話になった。
そこから歩いて早稲田に向かう。
快晴。
芝居のかかる劇場がこっち方面だから、そちらに向かう前に後輩たちの卒業式を冷やかしに行こうと思っている。
 
主役は卒業する人たちと、それを見送る人たちで、外からカメラだけ提げてにこにこ彼女らを見守るのは保護者の気持ちに近いのだろうか。
彼らの嬉しさや不安が、そのまま嬉しく不安だ。
それは状況に投影した自分の気分なんかではなく、ただひたすら彼女らの気分がそのまま感じられるような錯覚が、あって、うまく言えないのだけど、自分以外の気持ちを自分の気分と関係なしになんとなく内面化するというのは、あまり身に覚えのない出来事だった。
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こっそり距離をとって写真を撮り続けていたらあっさりはぐれて、諦めて講堂の隣の庭園に寝転がって小一時間寝る。
学位記を受け取った後輩と一緒に荻窪の劇場へ向かう。
期待どおり、なんとなく消化不良な感じが観劇後に残った。
おれもこういう、役者が本気の仕事人みたいな顔する芝居を、久しぶりにやりたいような気持ちにうっかりなった。
 
思っていたよりはしごする予定の劇場への移動に余裕があるも、眠すぎて動けない。
料金も高いしあんまり行く気がしなくなっているところに、出演者の後輩たちから「お待ちしてます!」とラインが来ていて、ああ、この人たちは俺のことをわかっているなあと思う。
気乗りはしないが行ったら面白いであろうことは分かるので、ふらふら電車に乗って、今さっきまで見ていた芝居の感想を書いていたら気持ち悪くなってしまった。
往復で交通費が千円以上かかるのも痛い。
泣く泣く諦めて帰ることにする。
行くかどうか渋っていたくせに、いざ行けないとなると、なんとなく後ろ髪引かれるようになるのは面白い。
 
東横線に乗り換えて座れたので眠る。
 
起きたらもう横浜。
まっすぐ帰って、夕飯を簡単に済ませ、シャワーを浴びる。
並行して今日撮った写真をパソコンに取り込んでみんなに送る。
 
さてはて、22時には寝付こうかね。
 
もうふらふらだ。
明日の仕事の朝は早い。