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2015.05.30

生活
さっきの地震はけっこうこわい感じで、もうそろそろ上がるかな、という頃合いだったので、職場で、みんなでちょっとハイになってくだらない冗談でゲラゲラ笑かしあいながら、ああ、今日は電車止まってるんだろうなあ嫌だなあ、と思った。

去年の12月、自分へのクリスマスプレゼントとして携帯をガラケーに替えた。
それまではiPhone4sをつかっていたのだけれど、それ以降はばかみたいに大きくなっていくばかりで、なんのためにこれまでテクノロジーが小型化薄型化を志向してきたんだかわからない。それだったらいっそiPadがいいと思い、それまでスマホにズブズブにはまっていたことへの危機感もあり、スマホでできることの大半は中古で買ったiPadに移行させて、携帯電話は電話とメールだけできればいいやというところに原点回帰、ガラケーに替えて今に至ります。
これには、引越し先に据え置きのWiFiがあり、自分のポータブルWiFi使い道が微妙になくなっているのがもったいなかったというのもあって、だからこのiPadは4Gとか、なんか携帯会社の回線には繋いでいない。ポータブルWiFiの現場復帰と相成ったわけですが、こいつは電源から離れてつけっぱなしにしていると半日でダウンするのでiPadをいじるときだけつけて、使わないときは消す。そういうエコな、開けたら閉めるような、使い方をしなくてはいけなくて、それをうっかり忘れて会社のロッカーの中で夕方頃には力尽きていたのでした。

なのでいま、たびたび間隔調整で止まる、乗車率170パーセント、不快指数無尽蔵なこの電車内で、僕の意識を外界に飛ばしていってくれるものはなにもない。なにもないこたないのだけど、インスタントな情報の洪水による安心安全無味無臭の思考停止をもたらしてくれるものはなんにもない。

そのおかげで、電子の海に漕ぎ出さないこのiPadのメモに向かって、久しぶりにこうしてブログの下書きを書いている。
ずるずるとサボりがちになって、でもまあそこにはあんまりこだわらずに、なるべく毎日書いていこう、サボるときはサボろう、と、この、右隣のおじさまの強烈な口臭に涙ぐみながら、思いを新たにしたのでした。

きのう24になりました。
23歳のあたしも見事に死に損なって、のうのうと生き延びてしまいました。
おかげでいまでもいまが一番良きときです。
過ぎ去ったことはよく覚えていられないから、いまがいつでも一番楽しいです。
さいきんは昔のことを思い出すことも多いけれど、それでもやっぱりいまの自分が一番好きだし、いまの状況がいちばん好きです。
なんてこった。この生は生きるに値する、なんて思ってしまいます。この世はやっぱり、どうだか知らないけれど。
みなさんありがとう、きのうはそんなめでたい気分でした。我ながらおめでたいやつ。
そしきょうもまた、おじさんの口臭はきつくとも、まえに座っているお兄さんがさり気なく僕のお気に入りの靴の爪先をわざと踏んづけてきても、みんなありがとう、というふわふわめでたい気分が続いているのでした。これはほんとうにめでたいことです。こういう気持ちが、いつまでも、無理なくほんとうでありつづけたら、どれだけいいだろう。そんな風に思い、でも、それはそれでつまらなそう。おじさんとおにいさんは今日の帰り道で転んで擦りむいたり、この車内に財布忘れたり、些細な大不幸に見舞われてしまえ。

ラッキー。前の席が空いて座れました。
おにいさんは財布を忘れていきませんでした。帰り道で転べばいい。
さてはて、もう書くのも疲れたな。
この文章をブログにあげるのは、このiPadWiFiに接続されたとき、帰宅する23時前後とかなのだろうけれど、この文章を書き上げたのは、2015年5月30日、21時50分。満員の東横線の電車が次に停車駅菊名に向かってびゅんびゅん駅をとばしているところ、でした。