2015.06.02
きょうはおやすみなので昨晩は夜更かしをしてとびきりつまらないゾンビ映画を眺めていた。『ザ・ホード 死霊の大群』という映画で、感想としてはフレンチ・マッチョってアメリカの脳筋ヤンキーよりもよっぽど気持ち悪いなあというものでした。総じて筋肉は苦手だけれど、なんだろう、アメリカのマッチョはどちらかというとアメコミと西部劇に鍛えられた無邪気なガキの論理なんだけれど、フランスのそれは気障でアンニュイな雰囲気に騙されがちだけれど実はかなりえぐいマッチョイズムなんだと思う。
今朝は10時くらいまでのんびり寝て、洗濯を済ませて朝ご飯を食べ終わる頃にはすっかりすべてのやるきをなくして、きょうという日は一歩もこの家から出ないぞと決め込んで過ごすことにした。お金も貯めなくちゃいけないし。
PTAの『マグノリア』を観た。これこそが映画だよなあと思う。とても好きな映画。
そういえば『マグノリア』のトム・クルーズやジョン・C・ライリーは、それこそ昨晩のフレンチ・マッチョと好対照な、素直で素朴な脳筋坊やのカリカチュアだとも思える。
『マグノリア』は1999年の映画で、きのうTSUTAYAにいって思ったのは、僕にとってのレンタルビデオ店の時間は2000年前後で止まっているということだ。だからそれ以降の作品が旧作で置いてあるときまってびっくりするし、つい最近封切られたと思っていたものがもう5年以上も前の映画であることも少なくない。
母に連れられて行って、こっそり悪そうな映画のパッケージを眺めるのがレンタルビデオ店だった。あのころすでに「大人になったらこれを観よう」と思っている映画だけで一生ぶんあったのに、あれから10年以上たって、「いつか観よう」という映画は倍以上に膨れ上がっている。もう絶対に追いつけないことはわかっている。生きているうちにぜんぶは観れない。それがちょっと切ない。切ないからこそ、きっと僕の一部分はそれを認めたくなくて、いまだに2000年前後のラインナップをTSUTAYAの棚に探し求めている。
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15時前くらいに『マグノリア』は終わって、なにしろ3時間もある大作だから、けれどもまったく退屈しない手腕に舌を巻きつつ、余韻に浸りながら呆けていた。調べ物をして、リビングのハンモックで昼寝をして、掃除機をかるくかけて、気がついたらこんな時間だ。
自分から何かを生み出すようなことをなにもしないまま、平気で日が暮れていくのはなんとも落ち着かない気分になる。
ほんとうに、ほぼなにもしないまま1日が過ぎてしまった。
けれども、『マグノリア』の3時間はそれこそ人生そのものみたいなものだから、むしろ十分すぎるとも言える。
なにかに触れてなにかを感じなにかを思うというのは、実はそれだけでとても創造的なことなのだ。
本の価値は読み方できまる。映画の価値は観方できまる。音楽の価値は聴き方で決まる。
世界はそれを認識するわたしやあなたのとらえかたひとつで決定される。
陳腐だけれど、これはひとつのほんとうだ。
たとえばさいきんジャズをたいくつせずに聴けるようになってきた。それはジャズの聴き方をすこしだけつかめた気がするからだ。
たとえばさいきん読める本が増えてきた。それは働くようになって、より自分と社会との距離というようなことを考えるようになってきたからだろう。
世界観とは、その人の生きる世界そのものだ。
ゲームや映画や音楽の持つなんとなくの雰囲気をさす言葉ではなくて、どんな世界観を持っているかということは、いかようにものごとをとらえるかというのは、その人の生き方そのものなのだと思う。
僕は『マグノリア』を観てひとつの人生を生きたように思えるような世界観を持てて良かったと思う。
『ザ・ホード 死霊の大群』に夢中になれないで途中から手元のiPadで吉岡里帆の画像検索に精を出すような世界観の持ち主で良かったと思う。しかしどうしてゾンビ映画を観ていると無償に女の子のグラビアをみたくなるのだろう。やっぱりオタク文化が内包する、頭の悪いマッチョイズムについつい侵されているのだろうか。
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いちにちぼんやりすごすと文章もぼんやりととりとめがない。
いや、きょうに限ったことではない。
最近はいつだってとりとめがない。
現実感がない。なにごともゲームやままごとのようだ。
いや、それも最近始まったことではない。いつだってそうだ。
社会だとか人生だとか言うのは、人が上手く生きていきやすいようにみんなで力を合わせてつく大ボラにすぎないのだから。
この世はぜんぶ嘘だよ。
誰かが勝手に決めたルールの中で、楽しく遊ぶってだけなんだ。
楽しければいい。
きっとそれでいい。
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書き始めたのはおそらく19時ころ。
だらだらと1時間もかけて、書けたのはこれだけ。
いまは、SAKEROCKのラストライブがYouTubeで中継されているのをiPadからリビングのテレビにクロームキャストで繋いでみている。
スーダラの灯を消すな。