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2015.11.25

Twitterでむずかしそうな話をつらつら垂れ流すことがめっきり減った。

学生時代はそれこそ毎晩のように鋭くとがらせた言葉を、じわりじわりと染み渡らせていたように思う。いい加減な僕のことだから、これもただの覚え間違いかもしれない。

観念的なことをあまり呟かなくなったのは、鈍感になったからではなく、むしろ色々なことを体感して、わからないことの多さに気がつき、言葉を発することに慎重になったからだろう。
大人というのは子供なんかよりずっと感性が錬磨されているから、ちょっとしたことで死ぬほど傷ついたり救われたりするらしい。

これだけははっきりしていると、自分で納得できることが少なくなってきた。
お金の心配と、お仕事の心配と、いまの生活の大切さだけが、あきらかだ。
いまの生活の大切さは、他の心配ごとを霞ませてしまうほどにはっきりとしている。
将来お金があってもなくても、子供がいてもいなくても、世界が美しくてもそうでなくても、この人と暮らしていければいいんじゃないかなと思えている。それだけで十分。

低気圧と日照時間の短さとであたしの神経はあっちゅーまに物悲しさに染まってしまう。
悲しいやね。
悲しいと好きな人が余計に大事に思えてくる。
いまの人と一緒に暮らせてよかったな。もっと大事にしなくちゃな。
毎日ひとりの時間ができるたびそう思う。