2016.03.18
結婚して5日くらい経った。
結婚してわかったことは、「続いていく」ということだ。
いや、知ってはいたのだけれど、いま、左手の薬指に目をやるたびにくすぐったいような新鮮な喜びを感じるほかは、とくだん大きな変化もなく、これまでと同じように生活を続けているなかで、「続いていくんだ!」とこころでわかったのだ。
そんなつもりはなかったのだけれど、どこかで結婚というものを「めでたしめでたし」だと思っていたようだった。もしくは、誰かが訳知り顔で言うように人生の墓場だと。
とにかく、なにかの終わりだと思っていたのだけれど、いざ結婚してみると、ただただ「ここから生き直していくんだな」というような気がしたのだ。
入籍日は、お互いの誕生日のちょうどあいだにある日、ということで選んだのだけれど、あの日が僕のあたらしい誕生日だったのだ、と翌々日に区役所で僕とおそろいの名字を持った彼女の名前が記された住民票を受け取ったとき、はっとした。帰り道、高校生の頃すがるように聴いていたthe pillowsの『アナザーモーニング』をiPodから掘り出した。
この曲をこんな気持ちで聴くことになるとは思わなんだな。
結婚しましたと投稿すると、フェイスブックでは150ちかい「いいね」がついた。
「いいね」というのは「見ました」とだいたい同義だけれど、自分にこんなに「友達」がいたのかと驚いた。すこし怖かった。
フェイスブックのアカウントいつ消そうかな、なんてことを考えながら、先日打ったお芝居の終演後にささやかに行わせてもらった指輪交換式で、とても暖かかく祝福してくれた大好きな友だちたちのことを思う。
あの人たちを友だちというのはなんだか変な感じがする。
僕の好きな人たちは、ひとりひとりとても大切で、その関係をいちいち名付けることがとても野暮なことに思えてしまうのだ。
いま、目の前で僕のジーンズの股の裂けたところを直してくれている人も、そうだ。
僕らはお互いのことを名前で呼べない。
それは結婚する前から変わらない。
大事な人やことほど、名前でつかまえるのがむつかしい。
つかまえてしまったら、いや、つかまえてしまっても、いまさら何も変わりもしないのだろうけれど。
この人の名字が正式に変わった日、それを証明する書類を持って僕は自転車を走らせた。高校生の頃好きだった曲を聴いて。もしかしたらとっくのとうに股の裂けていたジーンズを履いて。
この人と、ここから生き直す。
生き続ける。
長生きがしたいな。
ここ何週間か隔日の筋トレが続いている。
ザバスを飲んでいるおかげか、めきめき肉がついていくから面白い。
筋トレをしないほうの日に、柔軟をしようかな。
不健康と孤立が格好いい時代は、終わった。
これからは健康でなかよしが最高にクールな時代。
自分史の四半世紀を前に、革命的な大転換。
いまの気持ちとしては、これで思い切り好きなことができるな、ということ。
ほかの女の子からのモテや、いろんな人からのちやほやをそんなに欲しがらないでよくなったいまこそ、したいことだけをしようと思う。
次に打ちたいお芝居の構想もぼんやりとできている。
はやくみんなに話したいな。
俺は、いままでよりずっといい芝居を書くよ。
お仕事も、なんだかんだ頑張っちゃうよ。
たぶんね。
人生を背負って大ハシャギ。