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2016.05.22

鏡を見るときにはあまりないことなのだけれど、ふいに窓に映り込んだ自分の顔を発見すると、老けたな、と思う。
老けたというと言い過ぎかもしれない。
けれどもセルフイメージとしての「童顔で、吹けば飛ぶように薄い顔」という自分より、よっぽど時の刻まれた顔つきになってきている。
熟成された塩顔。

年相応の、顔立ちを得ることができたのだと思う。
いままでは、耳年増の子供のような、苦労を知らない顔をしていた。
その顔は可愛かった。
女の子にモテようがモテなかろうが、可愛いさはそれ自体が喜びだ。
顔の可愛さはだから、他人からの評価で決まるわけではない。
自分の納得と満足の深さだけが、可愛さのものさしなのだ。
けれども、いまの僕の顔は、そうした納得や満足はとうてい得られないようなものになってしまった。
ぼくの顔は、外に向けた顔になった。
子供のころ「大人というのは、丈夫そうな顔をしているものだ」と思っていた。
ぼーっとしているとのっぺらぼうのようになる自分の顔も、いつかああいう、味のある、というか、読みごたえのありそうな顔になるのかしら。
そう思いながら、内容のなさが透けて見えるような、淡白な顔をながめまわしていた。
いまももちろん作り自体は非常にミニマリズムの産物といった具合だ。
それでもなんだか、子供のころ大人たちの顔に感じた「丈夫さ」の感じられる顔になったように思うのだ。
この「丈夫さ」の正体はなんなんだろうな。
肌のつやのなさかしら。
ひげの濃さかしら。
毛穴のくすみかしら。
ちょうど今のぼくの年頃は、お肌の曲がり角だという。
曲がり角にあって、相応に年月をはっきりと刻んだ顔に対して、ものごころついたころから代わり映えのしない精神年齢が、「すごーい、ぼく大人みたーい」とはしゃいでいる。

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みたいじゃなくって、もうとっくのとうに大人なんだよな。

ぼくの顔は、知ったような顔でそう言っている。