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2017.04.27

会社勤めを始めて四年目になる。
さっぱり仕事を語る言葉を持てないままでいる。
大学で始めたお芝居については四年目ともなればしたり顔でしゃあしゃあと一席ぶてていたのだけれど。
やっぱり心底この仕事に興味が持てないでいるのかもしれない。

 

結婚して一年が過ぎ、今の奥さんと暮らし始めてからはそろそろ二年が経つことになる。
さっぱり結婚について語る言葉は出てこない。
結婚が楽しいのではなく、たんに奥さんと僕が楽しい人間だから毎日が楽しいだけのことだからだ。
僕らは最高、という話は、誰も面白くないからしないほうがいい。

 

仕事も結婚も、うまくいく秘訣なんてものはない。
あるとしても教われるようなものではない。
意識しないでもできることがたまたまうまくいくために必要なことだったとき、うまくいくものなのだ。


だから仕事や遊びがうまくいかないのは自分が他人より劣っているからでも、
幼稚園のころ「お前の頭ジャガイモみたいにデコボコだな」と言われた心的外傷がいまだ疼いているからでも、
きのう読んだひどいニュースに心を痛めているからでもなく、
他人とは苦も無くできることが違ったというだけのことなのだ。

 

苦もなくできることで食えていけたらいいんだけどな。
それはまだ見つからないから、とりあえず今日も会社に向かう。
見つからないままうかり勤め上げちゃったら、それはそれで儲けもんだ。

 

僕はたまたま苦も無く受験勉強ができて、苦もなく結婚できた。
おおきな苦労もなく得た大学生活は最高に楽しかったし、
おおきな苦労もないまま過ごしている結婚生活も最高に楽しい。
辛苦が人を成長させるかどうかは知らないけれど、辛いことや苦しいことはなるべくはないに越したことはない。

 

地道にレベル上げをしなくても、たまたま生まれたときにはすでに必要な魔法を全部覚えている。
そんなナンセンスが当たり前にありうるのがいまの人の世なのだ。
こういう人の世は、あまり気持ちのいいものではない。

 

たまたま現行のゲームに有利な初期設定で生れ落ちたから、
そのまま後期資本主義という、パワーバランスもエンカウント率も偏りすぎていて

もうほぼどん詰まりのクソゲーで遊んでいるけれど、
そして、死ぬまでここで遊ぶんでもしょうがないかな、とも感じているけれど、
クラッシュ・バンディクーとして生まれてきた人にもRPGとして人生を歩ませるようなことは本当にやめてほしいと思う。

 

参加するほか選択肢のないゲームほど、苦痛なものはない。
小学二年生のころ、休み時間のドッヂボールが嫌で嫌で仕方がなかった。
けれどもみんな「友達」だから、参加するほかなかった。
ほんとうはそんなことはなくて、参加しなくてもよかった。
あのころの休み時間はほんとうに無駄だったと思う。
いつからか休み時間は教室で漫画を描いていた。
そのほうがずっと楽しかった。
ドッヂボールに興じる「友達」たちを軽蔑しないで済むようになったから。

 

人には向き不向きがある。
皆にできても自分にはできないこともある。


自分に向かないものを、人は軽蔑したり攻撃したりするみたいだ。

 

もしかしてあたし、この人の学歴コンプレックスや結婚コンプレックスのはけ口とされているんじゃないかしら。
最近そう思ってしまうようなことが続き、ちょっとしょげている。

 

あの人たちは受験や結婚というゲームから仲間はずれにされたのだろうか。
そもそも得意じゃなかったのだろうか。
ゲームから降りたくても降りられないのだろうか。
どうであれ、それはとても苦しいことだ。
苦しいならほかのゲームを始めちゃえよ。こんなゲームやめちゃえ。
そう思わないこともないけれどそう思うことは嘘になる。
人のゲームを邪魔する人のことまで、真剣に考える気にはなれないからだ。

 

大学に行ったのも、結婚したのも、たまたまラッキーな状況に生まれつき、
たまたまそのラッキーを逃さなかっただけのことで、あんまりそのことに罪悪感を持ちたくないと思った。