2017.05.25

雨を伴う低気圧や季節の変わり目の湿っぽさのせいかはわからないけれど、
きょうは特に不定愁訴がつらい。
体の内側、みぞおちのあたりにできた空間に
ヒューヒューと風が渦を巻くように吹き続けているような息苦しさがある。
もものあたりがむずむずする。
頭がぼんやりとして痛い。
何か取り返しのつかないひどいことをやらかしてしまったような、
正体不明の罪悪感のような焦りのようなものを感じる。

こういうときは、みぞおちのあたりに感じる嫌な空白感をごまかすために
思い切りわけのわからない音を叫びたくなる。
吐くまでひたすら食べたり飲んだりしたくなる。
とにかく自分をめちゃくちゃな状況に放り込みたくなる。

思い返せばいつだって春は特につらい。

たとえば去年も一昨年も、つらさには見かけ上の理由があった。
仕事がちょっと辛かった。
そのためにすっかり忘れていたけれど、
わかりやすく原因としやすい何かがなくたって、
この時期は頭も感情もつらいのだ。

いまの仕事はかなり楽で、
去年のように自分の職務上の無力感や
役立たずであることへの罪悪感や
容赦なく次々にやってくる〆切に無策のまま焦りだけ募らせることはない。
そういうことがないぶん、いま溺れかけている憂鬱や倦怠を
自分の納得のできる形で説明することができないということに気が付く。

やっぱり天気のせいだろうか。
仕事が退屈すぎるのだろうか。
残業がなくなった分ごっそり給料が減ったことへの不安だろうか。
体重が減ってしまって体力が落ちているのがいけないのだろうか。
全部その通りなのだろうけれど、たぶん全部ちょっと違う。

なんでもないきっかけの積み重ねで、
気まぐれに憂鬱と倦怠はやってくる。
事前にそいつに備えておくことも、来たときにうまく対処することも、
たぶんいつまで経ってもできるようにはならない。
じっと耐えるしかないように思える。

たとえもう一人じゃないと安心しきっていても
お金持ちになっても
筋肉がもりもりになっても
世界中からモテにモテても、
どこからきたのかもわからない
いつまた身を潜めてくれるのかもわからない
それでいて渦中にいるあいだは息もできないような
この気まぐれな憂鬱や倦怠とは
死ぬまで付き合っていくことになるのだと思う。
やっかいなことだ。

いまはもう、わけもわからず、じっと過ぎていくのを待つほかない。
どんなひどいことも、待っていればいつかは過ぎ去っていくというのは
能天気なたくましさでもある。