2018.04.05

ふと「やっべえなあ今年でもう28か」という気持ちになったのだけど今年は27になるのだったか。
おぼつかなくて「91年生まれ 年齢」でググった。
今年は27になるのだそうです。
大学を卒業するのは24歳?
たしかそのへんで、あれ、そうだとすると僕はやっぱり今年28になるんじゃないのか。
ということは、ええと、23で卒業するのか。で、いまは26で、今年27になるのか。
とにかく卒業してから、というよりここまで書いて気づいたけれどたぶん大学にいたころから、自分の年齢がよくわかっていない。だいたいいつもうっかり一つや二つ歳を先どってしまっている。
20代のころは、いまもそうなんだけど、とにかく20台を意識していたころは、なんとなく30になるのはやばいなあという気持ちもなくはなかったけれど、就職とか結婚とかもしちゃうと年齢がなにかの節目になることってあとは死ぬときだけくらいの大雑把な気持ちになるし、ほんとうのところ30くらいでやばくなるようなことは何一つないなんてことは10代のころからわりと気がついていたようにも思う。

ふと「やっべえなあ」という気持ちが来たから書き始めたけれど、とくに年齢について思うことはないな。
もう若くはないとは10代でなくなったときに思った。
このときに感じた若くなさはそれはもう決定的だった。
「これ以降、早死にしたら本気でダサくなる」という確信めいたものがあった。
それが最後だった。
10代が終わり、もうここから先は賢くムスッとした顔でいることはできない。
なぜならダサいから。
若さが何かを許すとするならばそれは研がれたナイフみたいでいることのダサさだ。
若いころのダサさはたまにまぶしいこともある。
そのまぶしさは正しい。
この正しさを鼻で笑ったり、無視したり、憤慨するのはやりがちな過ちだけれど、そういうのはほんとうにやめたほうがいい。

何の話だっけ。
そうだ、年齢、なんかさいきんどっと歳をとった気がする。
なんでそう思うかって、周りがみんな年下、というような集まりのなかでその人たちとうっかり同じくらいの年齢のつもりで振舞っていたことに後から気がつくという事態が頻発したからだ。
自分のことをまだ若いと思ってることに自覚できないままにそう思っているのって、ほんとうに年長者ここに極まるといった感がある。
なんでこんなことになっちゃうかって、年をとればとるほどわからないことが増えていくからだ。
わからないことばかりだから、加齢につれてむしろ自分に対する信頼は減り、そのぶん外界に対する、なんだろうリスペクトみたいなものがうんと増える。もう老いも若きもみんな自分よりすごく見える。けれどもそれは、わからないことが見えるほどに、わかることが増えたからなのだ。
なんで増えたかって、歳を取ったからだ。
ただ歳をとったのじゃなしに、なにかしら経てきたからだ。
なにかしら経てきたいま、物心ついて以来いちばん新鮮な気持ちで毎日がある。
もしかしたらこれってすごいことなのかもしれないし、情けないことなのかもしれない。
まあ正直なんだっていいのだけど。