2018.07.06

生活に推しを増やしていく。

こっそり気になっていたプロダクトやお店には幻滅を恐れずにどんどん触れてみようと思った。

 

Deeper's Wearの服を買った。

fuzkueで本を読んだ。

どちらも想像していた以上に気持ちがよかった。


この世に感じのいいものを実際に作りだす人たちはすごい。
僕もそのようになりたいような気もするし、僕は何か特定の感じのいいものを追求するだけの根気も情熱もあまりないので、たださまざまないい感じのものをふらふら面白がっていたいような気もする。


二つに一つという考え方はばかなのだと、いまは誰もが言う。
とはいえ、どっちもどっちという、どっちつかずの考え方は、足元がふわふわと定まらず落ち着かない。おおくの人は落ち着きたいと願っているのだと思う。少なくとも僕は落ち着きたい。ふわふわと定まらないまま落ち着きたい。これしかないという、たった一つの落ち着きどころなどもはや信じてはならないのだから、「ここは落ち着けるな」という判断をくだす自分の、これまで育ててきた美意識みたいなものはお金や手間を惜しみ過ぎない程度に貫いていくようにしたい。いつだってお金や手間をかける余裕があるわけではないので、いつでも完璧に美意識を貫くぞという気持ちはそれはそれでしんどい。そんなストイックさは僕の美意識に反する。なんというか、美意識というのが大事な気がする。思想やプライドはいらない。それはたぶん今あまり役に立たないし、頼りにもならない。大切なのは、「これはなんだかいい感じ」という肌感覚、「これはなんだかよくなさそう」という直観のようなもの、そしてそれらをその都度きちんと言語化できること。僕はそういうことを美意識という言葉を使って考えていきたいようだ。


ここでちょっと自信がなくなってググってみる。
美意識、「美に関する意識。美に対する感覚・態度」
うん、そこまで遠くはなさそうだった。


自分が何を美しいと感じるのか。敏感でいたい。
なるべくそれをわかりやすく言葉にするように努めたい。
平易な言葉で表すことができたら、あとは実践あるのみ。
そうやって美のよい実践者として、よく読みよく見てよく食べよく着てよく住み、とにかくそうやって美しいものへの献身のように生活を送りたい。たまに、しばしば、よくサボりながら。


ここでよく働くというのが自然に出てこなかったことが少しさみしいような気もする。仕事において貫くにたる美意識を僕が持つ日は来るのだろうか。いまのところ、そもそも持とうという気持ちすら起こらない。でもせっかくだったら、持てたらいいなあ。だってそのほうが格好いいじゃん。


できるなら格好いいかんじに生きたい。
好きな人に、なにより自分に「いい感じだね」って言われたい。