2019.02.27

心身生活仕事ともども絶不調で、もうどうしようもないな、どうしようもない毎日だなとどんどん腐っていたのだけど、きょうはもうどうしようもなくイライラしてきて、意味も不明瞭なそのイライラはだんだんとはっきりとその姿かたちを表しそれはこの絶不調への怒りだった。怒り。憤り。俺は猛然とふんぬ、憤怒しているぞ俺は。ふんぬ、のこの、発声すればすぐさま脱力することが容易に想像がつく字面ののんきさ。とにかく俺は憤怒、怒りが爆発、上げ下げのうっとうしい気温差に、狂い切った気圧に、自然に翻弄されるしかなすすべのない人間の非力さに、己の体力のなさに、ぬがふんしている。もう俺はもう俺は絶対に絶対に丈夫になるぞ。毎日をごきげんに気分良く過ごせるだけの元気をつけるぞ元気があれば何でもできるだから今年は俺は体重を60キロにする。こういうのはいまみたいにいちばん調子が悪い時にこそ決意するべきだ。調子が悪いなりになんとか決意を現実に近づけていく工夫を凝らす。努力なんてものはクソくらえなので知恵と勇気でなんとかやりくりするのだ。もうほんとこの季節ダメで、ダメなの、この春に向けてぐずぐずぐずぐず変わりそうで変わらない煮え切らない季節の変わり目、気がちがっちゃうってもんですよ。なんかもう調子が悪すぎて自己嫌悪の度が過ぎて身の回りの人間関係への怒り、社会への怒り、世界への怒りへと高じていって、回帰するように猛然と自己改革の衝動へと掻き立てられるほらいまもうすでに気がちがっているようだ。俺は今年中にあと10キロ体重を増やす。そして疲れを知らず他者の弱さに想像が及ばず声と態度だけがでかいやつらを 、やつらを、別にどうこうしたいわけじゃないが、とにかくおれはそいつらにだって怒っている。なんでもかんでもイチから説明するめんどうさを面倒に思って言語化を怠る人々にも怒っている。もっとちゃんとしなさい、楽をしようとするんじゃない。お前のことなんて誰も知ったことじゃない。体育の授業やスクールのカースト的なものにはできる範囲でちゃんと関係なくいたつもりでたけれどそれでもちゃんと傷つけられた損なわれたものが確かにあったといまでは認めることもできるがそれはそのときは決して認められなかったがそう認めること自体は敗北ではなかったし別にそもそも勝ち負けじゃなかった。読んだら出すというのは食べたら出すのと同じようなことでこれは下痢みたいなものだった。『ジュラシック・パーク』で病気だか何かの原因を突き止めるために恐竜の糞に嬉しそうに手を突っ込む、糞を調べることはその生き方を調べることだったそのシーンが妙に好きでそれと同じような気持ちで人の書くものを読んでいる。同じような気持ちで自分のブログやツイートを見ている人がいたらいいなと思うこともあるけれどこれは下痢なのでそんな気持ちはないし、検便のような気持ちで読まれたいとはどういうことなのか。説明してほしい。言語化を怠るな。たとえが雑だ。もっとちゃんとしなさい、楽をしようとするんじゃない。