2019.03.04

僕の奥さんはとても素敵な人だ。おせっかいで、理知的で、チャーミングで、自分で決めた目標をストイックに追及し、ある程度まで達成すると興味をなくし、朝に弱く、暗黙知を信じずなんでもきちんと言葉にしようと試みる。人のお悩みに軽率に手を差し伸べ、合理的な最適解を提示し、とはいえ個々の具体的な状況はわかるはずもないから深くは立ち入らない。結局は人それぞれと言いつつ、なんだかんだずっと人の心配をしている。


最後まで面倒を見れないのだったら、中途半端にやさしくするよりも、いっそ放っておいたほうがいい、そうやってだいたいの人のことを放っておく僕は、とにかく人を放っておけない奥さんはすごいなあと感心する。どちらのほうがより誠実であるかとか、優しいかなんてことはあんまり興味がなくって、各々が各々の信じる道を歩めばいい。


僕は奥さんを通じて他人に対する親切心を起こす、というか、自分でない立場から各々のサバイブを考えてみるということをやってみる。おせっかいというのは無責任だから楽しい。その無責任さをいちいち気に病んでしまうから、僕は僕の名においておせっかいを焼くことにものすごく慎重になっている。僕は奥さんを媒介することで匿名の誰かの生活をシュミュレートする。読書が好きなのも、僕は本を媒介にすることで他者の思考や手の軌跡をなぞることができるからのようだった。僕はほかでもない僕としてがっつり相対できる人はそんなに多くないし、多くしたいとも思わない。それでも僕が多くの人たちへの思いやりや気遣いを発揮できるとしたら、その力は何かを媒介とした匿名的で無責任な関係をいろいろと試してみることで培われていく。そんなことを荒木優太『無責任の新体系』を読みながら考えた、わけではなく、おせっかいを焼く奥さんを見ていたら荒木優太『無責任の新体系』を読みながら考えていたことが思い出されて、より実感にちかいところで考えが文字になってきた。


僕は本を読むことで初めて考えられることや見えてくるものがあるというのが嬉しい。けれどもそんなことより、それに先立ってただ読むことが楽しい。僕は奥さんを通じてそれまで考えてもみなかったことや、見過ごしていたものに気がついていくのが楽しい。けれどもそんなことより、それに先立って奥さんといることが嬉しい。


本を読んでいても奥さんのことを考えていてもどうしたって自分のことに帰結する、そのことになんなんだよとがっかりすることがあると言ったら嘘で、そんなものだろうと思っている。自分のことを考えるとき、本や奥さんのことを切り離して考えることだってできないのだから、どこから話を始めるかというだけのちがいで、おなじことだった。