2019.12.27

『2666』は「フェイトの部」終わり、「犯罪の部」に入る。やっぱりこの国境の町での犯罪の膨大な記述とともに年を越すことになるようだった。これだけだと気が滅入るのでいつも以上に併読がかさむ。魚川祐司の対談本と、滝口悠生の日記、武田百合子の日記に、田中小実昌のカントというのが基本メンバーだった。奥さんの帰りが遅い日だな、と思って、仕事納めでもあったからしっかり働いていたら働きすぎてすっかり元気が無くなって職場の近くのつけ麺屋さんで雑に夕飯を済ませて暗い気持ちで帰宅した。「犯罪の部」を読んでいるのもあるが、記憶の中でここはずっと新聞記事のように淡々と、凄惨な事件のあらましが語られていく、それだけの章だと思っていて、思った以上に小説のというか物語の体をなしていて意外に思った。肺並みの膀胱、とか、夜明けまでのセックス、とか、長大なこの小説の下半身周りはやはり長さやデカさが誇張される。

浴槽にゆっくり浸かりながら『3月のライオン』の新刊を読んで、嗚咽を漏らすほど泣いた。湯船に浸かって鼻水と涙で顔をぐしょぐしょにする男がそこにいた。本編もそうだが、扉裏の書き込みにたんたんたんと撃ち抜かれ、最後でとうとう決壊した形だった。GEZAN が浮かぶ。僕らは幸せになっていいんだよ。脱水気味で、あわてて出て白湯を飲んだ。

優しい気持ちになっているのでもうボラーニョではないな、と思い滝口悠生をはじめた。僕はアイオワの日記は『ちゃぶ台』の「チャンドラモハン」だけ読んでいて、だからインドの詩人が出てくるたび喜んだ。その場の原理がわからなくてもわからないなりにそこに居ることができる、無為な時間を通して友達になっていく。すごくいいなあと思い、もったいなくてすぐに閉じた。ルシア・ベルリンを経由してボラーニョに戻るとすぐ奥さんが帰ってきた。