2020.01.05

二日以降、「2019」でタイトルをつけていてまだ年を越せていなかったので直す。

 

四日に東京を出た新幹線の車内には発車時刻ギリギリまで車内に残り子供との別れを惜しむ父親の姿があって、それを囲む一団は言葉から西の人間だとわかる。とうとう父親が下車し、途端に子供はこんなに悲しいことはない、というようすで泣き出す。周りの大人たちは微笑ましくそれに応対するが、子供の悲しみはそんなふうに見守れるようなものだろうか。それはじっさい身を切るような苦しみだったかもしれない。単身赴任を命じられたらその瞬間に会社を辞めるな、と常々思う。とうとう新幹線は動き出し、祖母らしき人物は、ずっと一緒にいたいよね、などと子供の泣きを煽る。自分のカタルシスのために他人の涙を増幅させる、それはかなり醜悪な行いではなかろうか。すっかりホームが見えなくなると、すぐさま母親は夕食の準備をした。ほら、〇〇が好きなオムライスだよ、涙の乾かぬうちから子供は静かに食べ始める。食べることで次へ進む、という発想は子供にもあるだろうか。五分後には涙と鼻水による脱水と、三半規管の未発達によって子供は夕食の入っていたビニル袋に顔を埋めて吐いていた。白い顔でふらふらする子供が嫌いになるのは新幹線だろうか、足元を拭いてくれる大人たちだろうか、こうして後ろの席から好き勝手観察している無情な僕たちだろうか。

『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読む。

 

車両こそ違えど同じ電車に乗っていた母と妹とホームで合流し、改札の外には弟も待っている。四人で駅前のチーズのお店で夕食。客層ではなく、料理やお酒の感じで若い子向けのお店だな、と判断する自分に、いつからそんなに若くなくなったのかと驚く。この四人で電車に乗るというのが慣れなくて面白い。三人を超えたら車の方が安かった。

帰宅はちょうど父と同じくらいのタイミングで、弟がクニツィア先生のボードゲームの素晴らしさなどを語るなど、おしゃべりするうちに午前二時を過ぎていた。

 

翌日は昼前に起きる。朝からそわそわとして、正午の開店めがけて訪問することにする。父の電動自転車を借りて、電動自転車というのは初めてだったがこれはもうほぼ車だった。坂でも立ち漕ぎの必要がなく、むしろ漕がなくてはいけないのが不思議だった。もういっそ勝手に動いてくれないかな、と思いながら漕いでいた。こっちには自転車専用の通路もあれば、こまめに無料の駐輪スペースも設置されている。東京で自転車に乗ると停める場所に困る。やっぱり開店の慌ただしさの中着いて、先に棚を見ることにして楽しかった。いつ来ても本にはこんないい形もありうるのか! と嬉しい気持ちになる。浅草のブックマーケットで藤原出版の方からお話を聴いて面白かった段ボールで製本した写真集と、『ゴーストワールド』の人の漫画と、イ・ランのライブ映像と、ON READING の太宰を手にとってレジへ。柿内です、とぼそぼそ言って、納品。へらへらふにゃふにゃ少しお話しして、ギャラリーへ。箕輪麻紀子さんの原画は名古屋で見るほうが、郊外の朝靄をつよく喚起されるようでみていて清々しい。ぐるっと最初の一回りの最後、エルヴィスの写真がある。二人のエルヴィス。それが非常によくって、僕はハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』は特に好きな映画でも筋書きだけで言えばむしろ好きじゃないくせにビジュアルだけでうっとりしてしまうので、誰かが誰かに扮するという行為に非常によわい。それでその写真集も買うことにして、またよろしくお願いします、と挨拶をして、帰宅。

 

昼食の後はクニツィア先生のボードゲームで遊ぶ。楽しい。奥さんから新幹線の自由席で着席するために五時間待つみたいなことが博多で起こっているとslack でお知らせがあり、これは今日帰るの無理だね、と諦めて明日の始発で出勤することにする。母が新幹線のチケット予約の会員登録みたいなのをしていて、それで取ってもらうと発券に会員本人のクレジットカードが必要ということでみんなで駅まで車で行って発券することになった。それだけのために行くのも馬鹿らしいので、同じく明日の始発で出勤する妹のお土産購入と、駅の近くのおいしいコーヒーを飲むというのを用事に追加したから、五人揃って家を出た。コーヒーはおいしかった。バローで買い物をすると精肉コーナーががらんどうだった。五人揃って鍋を囲むのはいつぶりだろうか。いろいろと鍋のルールが変わっていて、上京して十年というその十年を思い出す。途中からすでに眠くなっており、薬を飲んだりしてなんとかアイスまでたどり着いた。お風呂入って十時半には布団に入ったが結局寝つけないでツイッターを眺めていた。物音で四人の行動が聞き分けられる、この家での身体感覚はまだ残っているようで、それぞれの動きを聞いていた。