2020.01.09

奥さんが『リングフィット アドベンチャー』を行っている横で僕は、あ、と声をあげた。「犯罪の部」が唐突に終わった。列挙とブツ切りの塩梅があまりに巧み。「アルチンボルディの部」に入ろうとするもテンションがついていけず、そこで閉じる。Netflix で『鬼滅の刃』をだらだら見るが、長男を過剰に神格化し次男以下をディスる大迷言で復活した興味がどんどん萎えていくのがわかる。つまらなくはないが面白くもないというか、絵と声のレベルの高さで見れているけれど、設定の作り込みも雑だし、なにより人物造形が薄っぺらというよりもはや虚無で、構造も人間も不在のなか、これは、どこをどう面白がればいいんだ? と取っ掛かりが見えない。いいものが流行る、と素朴に信じているわけではないにせよ、流行には何かしらの時代の気分との合致というか面白がり方があるはずだとは思っていて、ここまで面白さが見いだせないのはなんだか居心地が悪かった。惰性で見てきたが、気持ち悪いからもうやめたほうがいいかもしれない。でもどうだろう、こっからどんどん漫画が巧くなって面白くなるのかも、などと諦めが悪い。『僕のヒーローアカデミア』は作品として完成されていて、それはむしろ少年誌での連載商品としては必ずしもプラスの要因ではないのかもしれないね、少年漫画という商品は、空疎であればあるほどそこに読者の欲望を好き勝手投影できるから、というような話をのちに奥さんとした。


新宿で納品。楽しくおしゃべりをして、楽しくおしゃべりができるということは相手がすごいということで、きちんと人の語りを受容し応答するというのは簡単なようでとても難しい。おしゃべりは複数人での共同制作の現場だから、うまくいくもいかないも構成員それぞれの関係性次第で、結果から個人個人の能力を判断できるものではないのだけど、この作業の成功の確度を上げることのできる人というのがいて、それは人の話をちゃんと聴ける人だと思う。自己なんて顔を合わせればその時点で開示しているのだから、大切なのは知ってもらうことより知りたいと思うことなのだ、といつも考えているのは僕は自分の理屈ばかりで他人を聴けていないからこそだった。


行きの電車ではカナイフユキ『ドミナントストーリー』、帰りはルチャ・リブロ『りぶろ・れびゅう』を読了。ケイト・ザンブレノの頑なさを肯定する自己開示と、ますむらひろしの開けっ広げな傾聴とのあいだを、両方の狭量のあいだを、揺れ動いていた。