2020.01.15

SUNNY BOY BOOKS で買ったグレイソン・ペリー『男らしさの終焉』を再開。さいきん『リングフィット アドベンチャー』の進捗をついつい同居人や奥さんと張り合ってしまって、自信の競争好きにげんなりする。これまでろくに運動もしてこなかったし、贅肉どころか必要な肉もついていないようだったから、やればやるだけ体に厚みが出てきたり腹筋が割れたりしてそれが目的であり面白さであるはずなので、運動の手段でしかないゲームのステージクリア率を競っても仕方がないと分かっているのだが先を越されるとムカつく。同居人はこの家で一番体力があるので一回のプレイ時間が長くてどんどん差がついていくのもイライラする。そもそも俺が買ったゲームだぞ俺がいちばんに決まってる、このように強い所有欲や競争心といった古い男性の特徴が顕著に表れているのが最近で、だからこの本を読むとカラカラと笑いながら爽やかな気持ちになる。しかし同居人も奥さんも僕に劣らず負けず嫌いではあるので、いま競争みたいになってるのは絶対に俺のせいだけではなくて全員に原因がある。(グレイソン・ペリーは古い男性の特徴の一つとして「常に自分が正しいと思いたい」というのを挙げている。)


何が嫌だって僕はこの世で競争というのが一番嫌いだ。なぜなら競争とは、自分ではない誰かの都合で設定された基準にどれだけマッチするかをチェックする行為でしかなく、それはどうでもいい基準に自身を阻害することに他ならないからだ。僕は出来るだけ競わずに、自分が極めたい低い孤高に挑むことに集中したい。香山哲の漫画や文章を読むとこのあたりがはっきりとイメージや言語に表されているから気持ちがいい。ナンバーだろうがオンリーだろうがOne へのフェティシズムをさっさと捨て去りたい。なんでもいいから僕は僕の好きな穏やかさで生きたい。数値化のような可視化は簡単に競争心を煽るから、僕の平穏をあっという間に脅かす。僕はゲームが好きだけど苦手なのはこのあたりが原因だと思う。BotW が最高だったのは広大なマップを好きな行程で探検できるから、そもそも簡単には進捗というのが気になりようがないというのがある。じっさいストーリーをクリアしたのち祠やお困りごとの解決のコンプリートを目指すぞと数値目標を立てたとたんにぱったりと遊ばなくなった。目に見えて身体が大きくなっていく楽しさや、ゲーム上でレベルが上がったりステージを進めていく面白さは、どちらもわかりやすさに騙されている気がしてくる。計測可能な土俵で誰かと競争したくなってきたら、楽しくない道を追求し始めていると疑うべきだ。僕は誰かより強くなりたいわけでも大きくなりたいわけでもないし、この家で一番に『リングフィット アドベンチャー』をクリアしたいわけでもない。毎日を楽しく過ごせる時間がたくさん確保できる、疲れにくくて健康な肉体を手に入れたいのだ。そもそもクリアを目的にしてしまったら、ひと通り遊んだ時点でもう興味を失うだろうが、それでは『リングフィット アドベンチャー』後の運動をどう続ければいいのだろうか。そうではなく、いかに長く『リングフィット アドベンチャー』で遊んでいられるかこそを工夫すべきだった。だからまずは同居人や奥さんがお腹を壊したり発熱したりする機会を待望し、みんなが運動どころではないタイミングで僕だけが元気にフィットネスしてぶっちぎるというのが望ましかった。二人とも、二日か三日倒れるなり、家を空けるなりするといい。(グレイソン・ペリーは古い男性の特徴の一つとして「全員追い越したい」と欲望することを挙げている。)

 

(…)筋肉生産工場であるジムが普及した理由には、理想の体(自然にできたのではない体)をつくりたい、マーケット化された視覚的なステレオタイプになりたいという欲望も挙げられそうだ。

グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』小磯洋光訳(フィルムアート社) p.99-100