2020.01.28

結局雪も積もらず冷たい雨が中途半端にしとしと降りやがる。


昨日の夜からは『構造素子』。『LOCUST』の記事が面白かったから、そしてワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが好きだから、という理由で手に取った。久しぶりのSF。一昨年の暮れにギブスンやイーガンを初めて読んだり掘っていく気勢があったのだけど、けっきょくそんなに読まなかったな。脳の、久しぶりに刺激される部分が刺激されるようで、この読み方を模索する最初の百ページが楽しい。ここで苦しければ苦しいほど楽しい。あたらしい言語の回路を組み立てていく感じ。想像の限界を拡張していく感じ。それが僕はSFを読むよろこびだった。小説を読むたびに、俺は人間の感情に振り回されるようすにあんまり興味がないんだな、と思うので、SFやラテンアメリカの興奮は気持ちがよかった。見たことのないものを見た気になれる、論理のタガが外れる瞬間や、バカバカしいほど壮大な景色を読みたいみたいだった。それか恬淡として日々を慈しむようなのがよかった。とにかく泣いたりわめいたりしないでほしい。するなら荒唐無稽な状況だけにしてほしい。そういうことのようだった。


夜に行けたら行きたいライブがあって、時間としてはいけそうなのだが体力や気力的には微妙、特にこの天気では、という状況で、退勤直前までぐずぐず悩みかねなかったが行くことに決める。蛮勇。

 

丘の上まで到着すると、父が彼を抱きかかえ、外敵から守るように彼の身体を覆った。

雪の中には色んなものが隠れてるんだ、と父は言った。枯草や土だけじゃない。石もあれば、誰かが捨てた、割れたコーラの瓶だってあるかもしれない。釘や金属片が落ちてるかもしれない。不発弾がうまってるかもしれないし、誰かが地雷をうめているかもしれない。父さんにちゃんと掴まってるんだぞ。

丘の上のその場所で、父は手綱を握る。父といると暖かかった。ウィリアム・ウィルソン 004 は暖かさを知らなかったが、その記述は彼に暖かさを感じさせた。ここに温もりがある──その記述により、ここには温もりがある。あなたもまたそう思う。

父が雪の積もる地面を蹴る。橇が前に進む。それから橇は滑り始める。最初はゆっくりと。

橇が動くと緊張がやってきて、そのあとすぐに興奮がやってくる。手を握りしめる。瞳孔が開き、目の中にたくさんの光の粒子が入り込んでくる。

雪は輝いている。空は輝いている。輝いている。光っている。世界の全てが。

それから急速に速度が上がる。風が生まれる。景色が変わる。空を舞う雪が彼の頬をかすめていく。彼は目を見開く。世界が輝きを増していく。光の粒子が渦を巻き、左右に揺れながら落ちていく。光は無数の曲線を描く。彼を中心に光の波紋が広がっていく。あるいは彼を中心に光が集まってきているのだ。ウィリアム・ウィルソン 004 はそう思った。

光は、視界の隅から無限にやってくる。世界の全ての光。雪の結晶が見える。結晶の鋭角的な形状。永遠に続く自己相似性。大小様々な多角形が集まり結晶化し綿帽子のような柔らかな球になる。それは、おそらくは世界そのものだった。完全な結晶に、世界の全てが映り込んでいるようだった。

無数の世界が彼を横切って消えていく。風が風景を切り裂く轟音を聞きながら彼は歓声を上げる。五秒もすれば丘の下まで辿り着く。五秒間の経験は瞬間のように過ぎていったが、それは繰り返し可能な瞬間であり、それは永遠だった。

もう一回、もう一回、と子どもの頃のウィリアム・ウィルソン 004 は父にせがむ。父は微笑む。

樋口恭介『構造素子』(早川書房) p.34-35


会場近くの食堂で奥さんを待ちながら、これはいいなあという箇所を引き写していた。