2020.05.24

最近は土曜日はフヅクエだけでなく碇さんのメルマガも楽しみで、今朝読んで、お返事というかお便りというかを書いて出したりして午前中は終わった。もう昼だったかもしれない。

 

昨晩の残りのグリーンカレーをつけ麺アレンジしたもので昼食。毎日同居人のご飯がおいしい。ほんとうに毎日作ってもらってばかりいるので、夫婦揃ってヒモみたいな気持ちになる。きょうは『いまなぜ家族のストーリーが求められるのか』を読み終えて、『通勤の社会史』も進めつつ大半は黒鳥社のYouTube を聴いていて、音楽を語る若林恵は熱量があっていい。やっぱり好きなものについて語っている姿というのはいい。個人の生活とかじゃなくて、文化全体のクオリティを守らなくちゃって話でしょ、というのに、うんうん、それかも、と頷くなど。さっそくフィオナ・アップルやシェルビィ・リンを聴く。

 

『いまなぜ家族のストーリーが求められるのか』についてstand.fm で話して公開する。家族の話はでも、どう話してもどこかしらの人たちを傷つけかねなくて、文章だと配慮できるが口立てだとだいぶ雑になるというか、自分のガサツさが露呈するようで、危ない、と思う。けれども、家族というテーマが加虐可能性に敏感になりやすいというだけで、ほんとうはどんな語りにも加虐可能性はある。一人語りはやっぱり難しくて、僕はなんとなくあからさまにラジオ、な語り方みたいなのに寄せていくことにためらいがあるみたいで、ラジオの人ってこういう話し方するよね、みたいなのに持って行きたくないのだけど、それはおそらく僕はラジオの人じゃない人として語りたい、ということなのだけど、でもやっぱりラジオっぽさに寄せてしまったほうが格段に語りやすいんだろうなとも思い知る。話法というか、体の使い方を練習していく感じというか、うまく喋れない感じが今は面白くてしばらくは色々試したいが、まだ聴いてほしい感じは薄くて、もうすこしクオリティは上げていけるはず、頭も舌ももっと回るはず、それに向けてできそうなことも思いつくはず、などと思っている。宣言は前倒しで解除となるみたいだけれど、しばらく人と会う気にはならないだろうし、人為的な制限が解除されようがウイルスは関係なしにあるものだし、もともとラジオも引きこもりの憂さ晴らしというよりはそれを口実にうまくできないことをうまくやれるように色々試してみる、というのがやりたかったみたいなので、もうしばらくやってみるだろう。

 

18時を過ぎても明るくて暑くて、なんなの、と思う。ようやく涼しくなった頃近所の本屋まで散歩。『バクちゃん』を買う。わかってはいたが『SPECTATOR』はなかった。

 

『バクちゃん』読んで、しみじみよくて、自費出版のほうも読み返して、しんみりした。そうか、トランプはこの頃からか、とか。自費のころは絵柄が松本大洋の影響が濃かったように思うけど、商業版はより絵柄が柔らかくなって、そのぶんバクちゃんの周りのささやかな優しさが身に染みた。これからも大事に読んでいきたいし、はやくこの漫画を、べつにふつうじゃん、と言えるような世になれよ、とも思う。

 

THE 1975 の新譜を流しつつ日記を書く。声と違って文字はある程度しっくりくる感じで使えるからいい。