2020.06.27

とても寝苦しかった。

湿気を帯びた体で、腕を掻き毟ったり、奥さんにしがみついたりしていたらしく、ものすごく邪険に扱われていたらしい。起きてもしばらくは敵を見る目をしていた。

仕事。今日は家。ギルボア先生の合理的意思決定のための講義。選挙のむずかしさ、およびそれでも多数決がとりうる最もマシな方法であることなどについてわかりやすく教えてもらう。

囚人のジレンマの話もよかった。それは相互不信をいかに解消すればいいのかという問いのためにこそある。

人類史上の大いなる過ちのうちいくつかのものは人々が実際よりも親切でやさしくてより利他的になれるという仮定と関連づけることができます。共産主義が好きか嫌いかはともかく、共産主義が現実よりも望ましいもののような印象をもたらしたのは明らかです。もし人々が他人の福利を十分に自分の効用関数に取り込んでいたなら、共産主義はもっとうまくいったでしょう。しかし、共産主義の大規模な遂行には秘密警察が不可欠でした。共産主義の高邁な精神は協力行動を生み出すには不十分だったのです。社会工学の観点からは共産主義者の理想は第1章で述べた非合理性によって挫かれているともいえるでしょう。それは人間の本性を所与として何が実現可能かを問わずに何が社会にとって望ましいかを問うていたのです。 利他心の存在そのものは疑いようがありません。それは人々の善行、ボランティア、寄付などから一目瞭然です。しかし、利他心には限界があります。(…)
イツァーク・ギルボア『合理的選択』松井彰彦訳(みすず書房) p.146

誰も不合理なわけでも、ひどく利己的なわけでもない。「想定しうる限り最低のクソダサ顧客」を想定してみんなでダサくならないためには、どうすればいいのだろう。

したがって、私たちは囚人のジレンマを比喩と捉えなくてはなりません。囚人のジレンマは何もお互いを裏切ったり誠実だったりする容疑者の話をしたいわけではありませんし、私たちは利他的であるべきだとか人々が実際にどの程度利他的であるかを認識すべきだとかいった言明を云々するものでもありません。囚人のジレンマは社会の制度設計に関わる問題です。囚人のジレンマは様々な状況においてルールを変えなければパレート最適な結果を得ることはできないという警告を私たちに与えてくれる比喩なのです。
同上 p.147-148 

お互いに利他的であることが合理的であるルールを設定しなくちゃいけない。

 

夕飯を食べてから少し散歩をして、さいきんつまらねえよな、というようなことを少しおしゃべりしたら少し気が晴れたようだった。なんとなく、漫然としょんぼりしている。

最近は毎晩『血界戦線』を見てる。『カウボーイビバップ』みたいで楽しい。すごく中心にいるキャラがアニオリだと知って衝撃を受けた。