2020.07.21(1-p.170)

和山やま『女の園の星』を読んでクスクス笑う。これは最高の漫画だ。高い画力で描かれる、些末すぎる出来事の可笑しさ。『動物のお医者さん』や『百万人の数学変格活用』の系譜。なにより書き文字の綺麗なのがいい。試し読みで半分くらい読んだ『夢中さ、きみに。』も結局買った。Kindle は便利。

奥さんが朝からぐったりして虚無なので、さいきん観ている『アンブレラ・アカデミー』は諦めて、不死身のシャーリーズ・セロンのやつを一人で流し見ながら昨日のぶんの日記を書く。あまりにも優等生というか王道な作劇で、半分くらいしかまじめに見ていないでも全部わかった。

午後はマルクス、二章を読み終え、リアリストのためのユートピア。 そこに合理性を見てとるならば、非現実的だという揶揄に流されず自身のアイデアを持ち続ける図々しさが大事、とあって、よかった。しかもそれがハイエクフリードマンのエピソードから導かれるのがいい。新自由主義という「非現実的なアイデア」によって、現実を変革した勇敢な先駆者たち。

知的流行を追う似非インテリの一人として、愚かな理想を掲げつづけたいし、そのためのささやかな実践を続けていきたい。

悲しいことに、「負け犬の社会主義者」は、左派の物語は希望と進歩の物語であるべきだということを忘れている。誤解しないでほしいが、その物語とは、長々しい学術書を読んで「ポスト資本主義」や「インターセクショナリティ」について思索するのが好きな、少数のヒップスター[知的流行を追う似非インテリ]を悦ばせるためのものではない。学問の世界の左派が犯した最大の罪は、基本姿勢が貴族的になり、単純なことを奇怪な専門用語で書いてことさらわかりにくくしていることだ。もしあなたが自分の理想を、聡明な一二歳の子どもにうまく説明できないのであれば、おそらく原因はあなたの方にある。わたしたちに必要なのは、数百万人もの普通の人々に語り聞かせる物語なのだ。

進歩を語る言語を取り戻すところから始めよう。

(…)

だが、まず初めに、「負け犬の社会主義者」は、自分は道徳的に優れているという思い込みと時代遅れの思想を捨てなければならない。自分は進歩的だと自負する人は皆、エネルギーだけでなくアイデアの源となるべきだ。そして、憤りを発するだけでなく、希望の光を放ち、倫理と強い理想を併せ持たなければならない。結局、「負け犬の社会主義者」に欠けているのは、政治を変えるための最も重大な成分、すなわち、もっと良い方法が本当に存在する、ユートピアは確かに手の届くところにある、という確信なのだ。

わたしは、「大文字の政治」をマスターすれば、簡単に理想の社会を実現できると言うつもりはない。全くその逆だ。そもそも、このアイデアを世間に真剣に受け止めてもらうことからして非常に難しいのだ。わたし自身、それを痛感した。この三年間、ユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎると批判され、あるいは露骨に無視された。

少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。人を黙らせる最も効果的な方法は、相手に自分は愚かだと思わせることだ。そうすればほぼ確実に口をつぐむので、検閲より効果がある。 ルトガー・ブレグマン『隷属なき道』野中香方子訳(文藝春秋) p.264-268