2020.07.30(1-p.187)

comic-days.com

寝起きに『生活の批評誌』のidanamiki さんのツイートで「これこそ生活の批評」というようなことを言っていた漫画を読みにいくと、職場や大多数の「ふつう」に馴染むことも、そうした「ふつう」から特権的に逸脱しているつもりのクラスタと同化しきることも叶わず、「ふつう」の世界で、「ふつう」ではない自己イメージと一緒にやっていくことの面倒くささや恥ずかしさが、驚くほどフラットな筆致で描かれていて、すごかった。結婚や恋愛にそこまでの屈託をもたずにいるのは、単にはやめに恋愛から降りて、結婚してしまうことができたからに他ならず、しかしこの主題についてはだから「もし奥さんがいなかったら」という仮定のもとにしかノれそうになかったが、だからこそむしろ会社員として本を読み、何かを書いたり作ったりすることを細々とやっている身として、『ネムルバカ』の「ダサイクル」にちかい、狭いところで自足できてしまう自身の大したことなさを突きつけられるような読後感があった。でも悪い感じではなくて、むしろどこかほっこりもする。自分も他人も突き放してタハハと笑うこの感じは、さくらももこに近い。「冬野梅子」で検索すると「清野とおるエッセイ漫画大賞最終候補作品」というのが出てきた。あとで読む。

 

ほかはあまり本を読めなかった。読んではいたが、元気になりたいらしく、でも読んでも元気にはならなかった。真木『自我の起源』はけっきょくノれないまま読み終えてしまったし、イリイチシャドウ・ワーク』は面白かったがくたびれて、一気にたくさんは読めない。イリイチは疲れるけれどすごく面白く、でも僕は今日元気が欲しいみたいだった。口直しの木村敏『あいだ』もきょうは頭に入ってこない。『百年と一日』はかなりしっくりきて、今日ははじめから小説にすればよかった。でも元気にはならない。

 

冬野梅子のあの感じは福満しげゆきなのではないか。それで寝る前は『僕の小規模な失敗』を読む。初めに読んだのが高校生の頃で、あまりにも描かれる欲求不満や不安が生々しく自分ごとであったあまり、結局結婚できてんじゃねえか! と白けてしまったので、いま読む方がしっくりくるというか、改めていい漫画だった。なんだかんだ言っても自身のこの苦しみは「バカで将来が不安」と「女の人と縁がない」ことの二つに要約できてしまうことに気がつき、そんなバカな! 自分の苦しみはもっとなんというか文学的なはずだ! とオロオロするさまの可笑しさと洞察の共存。今朝の冬野も今晩の福満もそうだが、結婚はただの制度だし、番わなければいけないというのは呪いだが、僕がそれらを相対化できたのは結婚したからでしかなくて、だから結婚にすべての解決を託したくなる感じは残念ながらすごくよくわかる。そして「僕」のほうは僕と同じように結婚しようが生活はふつうに続いていくことを理解して終わるし、「私」も小さな冒険の失敗のすえにふつうに生きていこうとしている自分に気がつく。基本的に生活は大したことないのだ。そんなにキラキラもしていないし。呪いを解くというのは、憧れや夢を手放すことでもある。元気でなくてもいいや、と思えて、寝た。