2020.09.13(1-p.292)

昨晩は仕事終わりにグラニフで石黒亜矢子コラボのスカジャン風ブルゾンを買って、本屋で『幻のアフリカ納豆を追え!』と文庫版の『謎のアジア納豆』を買った。後者は既読だが、図書館で借りたものだったのでこの機会に買うことにして、そうすると読んだときの興奮が蘇ってくるようで、どちらから読もうか、とすでに両方読む気でいる。結局はアフリカから始まり、のっけからクスクスと笑いながら読んでいる。納豆を毎日のように食べている。きょうも炊き込みご飯だったが関係なしに納豆を食べた。賞味期限から一週間経ってだいぶアルコールっぽいツンとする風味があるが、それはそれで刺激的で良い感じだった。

体調はすこぶる悪く、なんというか他者に対する気遣いの余裕がない。昨晩もしょんぼりしている奥さんをフォローするどころか致命傷を負わせてしまった感じがするし、きょうも出かけて行った先で二人して土壺に嵌まり込んでいくようなグズっぷりで、よくなかった。こういう日の自分のグズっぷりを克明に残しておくことこそ日記の醍醐味のようにも感じるが、いかんせんそんな体力はない。僕は元気がなくなると他責に走りがちだが、奥さんの癖はどちらかというと自責に寄っていて、だから僕が自覚できないうちに奥さんを怯えさせているようなことになりがちでとても悲しい。いい人間であるためには元気が必要で、暑くなってからこっち運動もサボっているのもよくない。

遊びに行くあてもないのにお金稼いでもしょうがない。なんのために働いてるのかわからない。遊ぶ金ほしさに手を染めていたけれど、労働ってまじ意味わかんない。それが奥さんの言い分で、非常に、いわゆる、わかりみが深い、というやつだった。やっぱ家でも買うか、と話しだす。長野あたりであればキャッシュで買えなくもない。しかし東京にメリットを感じなくなったというだけで、地方のメリットというのもやはり感じはしない。青木さん達とのおしゃべり楽しみだね、とルチャ・リブロについて奥さんにブリーフィング。83年生まれということは八年ほどの年の差で、おふたりが脱都会を決心したのは東日本大震災だったというのはつまり、そのころおふたりは今の僕たちの年齢だった。そう考えるとおふたりの決断というか選択も腑に落ちる。COVID-19 をトリガーに展開されている状況の中で三十路を迎えようとしている僕たちも、これからの生活を見直さざるをえないような気でいるからだ。

心身二元論は嘘なので、お互いに優しさと敬意を見失わない程度に元気でいたい。いい人間に、なりたい。