2020.09.20(1-p.292)

母がこちらに来ているというので東京駅でランチをした。母は僕にとって他人である以上に奥さんにとって他人なので、奥さんはふつうにしていても少しくたびれるだろう。僕はそういうことに頓着せずに一人でべらべら喋っていたように思う。何を話していたのだったか。すでに覚えていない。母の話したことはなんとなく覚えている。名古屋と東京では感染症に対する感じもどこかちがうようだった。電車が主な移動手段でないことも、差異の大きな要因だろう。春ごろの都内の空気は、やはり異常なものだった。

食後お茶にしようと近辺をぶらつくも、カフェはどこもいっぱいで、なんだかんだ多くの人はもうリスクを引き受けたりちょうどよく忘れたりすることで外に出ている。交通事故や通り魔や熱中症と同じように、いちいち気にしていたら外は出歩けない。生きるというのは、いま死ぬかもしれないという可能性がつねに付きまとう。だからある程度の愚かさや健忘は、危険の可能性だけだったら無限に列挙できるであろう生活を営んでいくには不可欠なものだった。マカロンなんてただのメレンゲと母が言うので憤慨して、ピエール・エルメのマカロンを押し付けるように御馳走したが、丸の内の店舗は海苔やら米やら売られていて、エルメは無理に日本の食材を使った新作でおいしいのがあったためしがないので不安を煽る店構えではあった。カフェはあきらめて母を見送り、KITTE のなかのへんな博物館みたいなとこをいつものように冷やかし、標本のクオリティのまちまちさについておしゃべりした。それから上の階の、自分の所有物ではない本を自由に持ち込み汚してしまうリスクの責任を負わないで済むような恐ろしい形態のカフェでゆっくりした。楽しいことがしたい、と二人は言った。足湯とかしながら、だらだらスカサハのイベントの周回に興じたい。それが二人の具体的な欲望の形だった。二人だとカフェにも入れた。二人で出歩くことばかりで、三人以上で座れるスペースが極端に少ないことに気が付いていた。三人以上の集合は限られている。しかし、周りは三人以上の集合ばかりのようにも見える。前に来たときは海外文学の棚が充実していて感心した記憶があったが、そのあたりまでビジネス書に侵略されていて悲しくなった。僕の記憶が確かなら、あの棚を作っていた担当者はきっといまは別のお店で、より自分の納得できる棚を耕していると思いたい。

眠さと切なさと風邪のひき始めの感覚はほとんど同じだ。肩のあたりに撫でられたようなくすぐったい感じがあって、そのままお腹のあたりまで風が吹くような空洞感がくる。 夕食は何か体に悪くなさそうなものを、と野菜ばかりを出してくれる店に行って、丸ごと煮たレタスなんかを食べた。