2020.10.17(1-p.325)

ちょっともうどうしようもなく忙しくなってしまうから、校正作業のヘルプを奥さんにお願いする。もっとはやくにお願いされると思ったのに自分でやりたいみたいだからそっとしていた、もっとはやくに頼ってくれてもよかったのに、と奥さんは言って、こればかりは仕方がなかったけれど、なんだかんだと手伝ってくれるから嬉しいし、奥さんもふだんとはちがう用事ができるのはなんだかんだで嬉しそうで、面倒というのはやはりじぶんで引き受けたあとはわりと面倒であればあるほど楽しかったりもする。一概には言えない。

石を三〇個貯めて回すのでなく、三個ずつで回しても回せる回数に変わりがないことに気がついて、三個貯まった時点で引いてしまったらいいのがきたりするからますます一回ずつ回すのに惹かれていったがそれを奥さんに言うと奥さんは消費者金融にハマってくひとの理屈じゃんと言って眉をひそめた。

きょうは寒かったので庄野潤三を読んでいて、あたたかな心持ちになった。さいきんは主語大きめの本ばかり読んで生活を見失いかけているのでいまこそこういう本がよい。

奥さんも一年前の日記はでかい主語から始めても最後はちゃんと生活に戻ってくるのがよかったのに、いまはでかいところに放り投げっぱなしじゃないかと言われて、そうかもしれないなあ、と思う。マルクス以後のこの日記は、というかはてなに戻ってからの日記は明らかに書くモードがちがっていて、それは同じ日記として買いているのでも読み物として書いているかただ記録として買いているのかのちがいでもあって、さいきんはあまり読まれていることを意識していない。それは「いいね」がないことや記事ごとのアクセス数などを調べづらいこともやっぱり関係していて、note のそう言うところが煩かったからこちらに戻ってきたのだけど、じつは多少は煩いくらいの方がいいものは書けるのかもしれなかった。