2018.1.3

年末年始は、いつも通りでいようと思っていてもなんだかあわただしく、そして気持ちが改まるようなことになってしまう。
いつもと同じように日が変わるだけなのに、ふしぎと新しく生まれ変わったようなすがすがしい気持ちに誘われるのは新年の魔力だろう。こわい。ついついお蕎麦やらお餅やらを食べたくなっている。

今年もとにかく本が読みたい。
昨年は「発酵」をキーワードに本を読み進めていったけれども、今年は「SFと仏教」をとっかかりに始めてみたいと思っている。

ここにきて物語というものはやはり大事だな、というような気持ちになってきている。
どうしてもその負の効用ばかり目について、物語なんてものはないと言い続けてきた。
いい加減、わざわざないないと言いつのらなくても、ないものはないのだと自然に思えるようになってきた。
すると今度はないものを誰かとつくりあげていくことをいま一度見直してみたいような気持ちが湧いてきている。
ないものがあるような気持ちで囚われてしまってはナンセンスだけれども、ないからといってまるきり拒絶してしまうのも同じくらいナンセンスなことだ。
囚われず、わがものにしようとせず、うまい具合の関係を、ようやく物語と築いていけるような感覚がある。
やってみないとわからないけれど。
やってみることにします。
それは文字通り物語を読んだり書いてみることであるかもしれないし、自分の生活に物語を置いてみることであったりするだろう。
生活における物語とは、たいてい邪魔になるものだけれども、たぶんうまく使えばよく活躍をする道具になるはずで、ようやくうまく使えるような根拠の不明な自信が出てきた。

東京というのは洗練とは程遠い田舎臭い場所だけれど、ここでなかったら洗練された場所があるというわけでもない。おそろしいことにもっと田舎臭いところのほうが多いくらいらしい。
いやになっちゃうけれど、いまいるところで、ありもので、なるべくあかぬけたようにやっていくしかないのだ。

よりよい生活のために実践することとして、今年は下記のことを続けていきたい。

発酵食品づくりとプログラミングの技術を体得する。
筋肉をつけてうつくしく太る。
簡単にはへばらない体力と、よく通る声を獲得する。
日本語と韓国語の勉強をする。

上から順番に優先したい気持ちが強い。
せめて上の二つについては騙し騙し続けたい。
そして気分は「SFと仏教」でいくのだ。

今年は奥さんとの企みごとをのんびりとしかし着実に発表していきたい。
それとは別にお芝居もそろそろやってみたい。

年始に浮かされて気が大きくなっているうちに放言しておこう。
なんだかんだ言ってしまったことはだいたいやる。
やれなかったらやらないけれど。
やる。