2020.11.26(1-p.365)

いつも真面目で正しく、純粋なこの人たちが、
つらい思い、はもうとっくにしていると思うけれど、
それでも、これ以上、つらい思いをすることなく、製本の仕事を続けられますように。
笠井瑠美子『日々是製本』(十七時退勤社)

笠井さんの文章は達観とやさしさとが奇妙な具合に同居していて、こういう一文にふいにやられてしまう。変な人たちの観察日記のような距離感がありながら、親密な手紙を覗き見ているような気持ちにもなる。その塩梅が絶妙だった。午前中に息抜きに開いて、おかげで午後まで穏やかな気持ちで過ごせた。なんでだか、今日は僕は一体何がしたいんだろう、ということをずっと考えていて、ただ穏やかに、日々を機嫌よく過ごせればそれでいいんだと思い出すように確かめていた。

 

午後おそくにすこし散歩する。近所のコーヒースタンドで豆を買って、一杯テイクアウトする。コーヒーを淹れてもらうそのあいだに、なにかものを書いていらっしゃるんですか、と問われた。え、なんで、なにを根拠に、とへどもどしていると、だっていつも「読書」ってプリントされたトートバッグを持っているから、とのことで、あんなふうに周囲に読書をアピールする人はものを書いているだろう、とのことだった。入店時も、きょうは読書トートじゃないんですね、と声をかけられて、そうか、読書トートで覚えられていたのか、と思ったのだけど、読書トートは読書家であることをアピールできるだけでなく、なにか書いてそう、ということまで匂わせることができるのだった。H.A.B の話をして、今度本ができるんですよ、とへらへらすると、できたら持ってきてくださいね、とのことで、嬉しいお喋りだった。コーヒーを飲みながら帰る。歩くのが下手で、カップからどんどんコーヒーが溢れて左手の指が濡れていく。冷たい風がすぐに乾かす。