2015.05.14

今朝は嬉しいメールをいただいた。

出勤日よりも早起きをして珈琲を淹れる。

メールへのお返事をしたためながら、洗濯機を回す。

いい天気なのですぐに乾くだろう。

ワッと書いたメールを一度いい加減に読み返して送信する。

お米を三合、炊飯器をセットして駅前まで買い物に出かける。

本屋さんでSPECTATORとPOPEYEとSWITCHを買う。

スーパーでパスタと牛乳を買って帰る。

暑いくらいのいい天気。歩くと少し汗ばむ。

正午過ぎ、家にもどってお湯を沸かす。

パスタを茹でながら買ってきた雑誌をぱらぱらめくる。

タモリ特集がたまらなく良い。

YouTubeで奥田民代50歳記念テーマ曲を聴く。

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こちらもまたたまらない。

適当で無責任なたのしい親父になりたいと思う。

お昼を済ませて、雑誌をはしごしながら書き物をすすめる。

15時頃、洗濯物を取り込む。ほんとうに気持ちよく乾いている。

なんとなく眠たくなってきたのでハンモックを引っ張りだして、リビングでお昼寝。

起きた頃にはすっかり出かける時間。

電車に揺られて丸の内まで。

新丸の内ビル7階のフードコートのすごいやつ、みたいなところで、きれいにライトアップされた東京駅を眺めながらご飯を食べて、愉快な道楽を企む。

なんだかんだ、これからも忙しく楽しくなりそうだ。やれやれまったくもう。

きょうはいい一日だった。

のんびりゆっくり過ぎていった。

ほんとうに欲しいものは、ちょっと手に入らなかったけれど。

なんとなく切ない気持ちになりながら、ちょうどいい塩梅の夜風に吹かれて家に帰る。

 お風呂が湧いている。

雑誌をふやけるのも気にせず持ち込んで半身浴。

すっかりぽかぽかしている。

寝るかね。

2015.05.13

 

この動画、これはフランス語の吹き替えのようだけれど、子どものころ家にVHSがあって、それはたしか英語で、ともかく理解できない言語でご機嫌なうた、ぬるぬるうごくコックのおじさん、とにかく巨大な食べ物に飛び込む下品な快楽。そのすべてに幼い恐怖と興奮をおぼえて、何度も何度も見たような気がする。

 

子どものころから大好きな動画だったかどうかはわからない。

怖くてたまらなかったから、どちらかというと悪夢のような手触りの思い出だ。

いまみるとたまらなく楽しい。

ネット回線さえあれば体感できるトリップ。

退勤して帰路、電車の中でなにげなく動画を漁っていたら、懐かしいものと出くわした。

大事なことや、そうでないことは、すべて忘れてしまった過去にある。

未来は過去にしかない。

だからいつまでたってもなにも覚えてられはしないのだ。

いつのまにか、きょうも夜更かし。

眠れない夜はなんだか子供っぽい。

2015.02.12

台風が近づいてきている。

思ったより気圧が急に落ち込むようなこともなく、だけどもじわじわと確実に落ち込んできていて、日付が変わる頃には落ちるところまで落ちるだろう。

家に帰ってこうして黙々とパソコンに向かっていると、雨の音がすごい。

雨の音そのものは、静かなものもにぎやかなものも嫌いではない。

ただ、低気圧で頭が痛くなることに気がついてから、雨音は頭痛を引き起こすようでよくない。

特に目が覚めて、どうにも寝起きがよくないとき、雨音に気がついて納得するような諦めるような気持ちになる。これが好きではない。

 

明日の朝にはあっけなく過ぎ去っているといい。

あしたは台風一過で気温が29度くらいまで上がるらしい。

 

春だからなのか台風だからなのか気圧がどんどこ下がっていくからなのか、やたらと眠い。

 

コーヒーフィルターと牛乳を買いに行きたいのだけれど、この天気の中わざわざ出かけて行く気にもなれないし、さっさと寝ちゃおうかしら。

 

同居人たちがテレビを見ている。

木村文乃ってやたら可愛いな。

2015.02.08-11 ここ数日考えていること

前回の長いお喋りを続けようと思います。

おさらいとして、権威と権力の話を振り返るところからはじめます。

ここでは、権威を「自発的にいうことをきこうと思わせる力」、権力を「有無を言わさずいうことをきくことを強制する力」のこと、ということにしています。

 

関係性に名付けるということは、権力的な行為です。

僕は僕の母が好きだけれど、それは母個人のもつ権威ゆえに、好いているのであって、「母」という地位のもつ権力については、知ったことかという気持ちでいます。

それは母に限らず、自分は「先生」やら「専門家」やら「先輩」やら「社長」みたいな人たちに対するスタンスにも共通する者で、彼ら彼女らのついている「地位」それ自体がもつ権力なんかなんにも気にかけず、ただその日と個人が尊敬に値する人間かどうか、面白がるに足る人間かどうか、つまるところ「いうことをききたい・きいてやってもいい」と思わせてくるような人物かどうか、その人の権威ばかりを問題にして、ここまで過ごしてきたように思います。

 

就職してからいままで1年ちょっとのあいだ、ずっと頭を抱えて考え込んでいる“人とのコミュニケーションってこんなにむつかしかったっけ”という戸惑いの原因は、こんなところにもあるように思われます。

 

先ほど“権力なんか気にかけず、その人の権威だけを問題にしてきた”と書きましたが、これはすこし精確ではありません。“権力をうまく気にすることができない”というのがより正しいようです。

僕は、ひとと関係するとき、そこに権力関係を持ち込むことが、どうにも苦手なのです。

“この人は「上司」という地位にいる”“この人のいる地位よりも、こちらの人の方が上”“この人に対しては、こういう態度を取らなくてはいけない”などといった相関図を覚えることや気にすることが、かなしいくらいに苦手です。

これは幼稚園のころからずっとです。

たとえば、僕はずっと「友だち」というものが苦手でした。

そもそも「友だち」ってなんなのでしょう。

どこからが「友だち」で、どこからが「友だち」じゃないのでしょう。

きのうヨルタモリでも、フェイスブックの申請が許可されたりだとか、すれ違ったら挨拶するだとか、そんなのまで勘定に入れてちゃあっという間に100人超えちまうよ、なんて話が出ていましたが、ほんとにそのとおりだと思います。

「友だち」というのは、勘定の仕方によっては際限なく増えてもいきますし、またほんの一人だっていないような気持ちにもなります。

考えれば考えるほど、「友だち」というのはなんなのか、わからなくなります。

そして、ぼくはそもそも、関係性に名付けるという行為自体に、アレルギーを起こしてしまうのです。先にも書きましたが、関係性に名付けるということは、権力的な行為だからです。

たとえば一緒にいて楽しいと思えたり、安心した気持ちで過ごせたり、知らない世界を教えてもらえたり、そうした一緒にいる価値は、それだけでとてもいいものです。

わざわざそこに名前をつける必要があるでしょうか。

僕はそのひと個人に惹かれて、一緒にいるのです。

ぼくがそのひとと一緒にいる根拠は、そのひとの権威的なもの、つまり、そのひと自身の魅力やそのひととの相性にしかありません。

あえてそれを「友だち」やら「親友」やら「仲間」やら「恋人」やら名前を付けたがる気持ちはわからなくもありません。名付けることは、関係性を、僕とそのひとだけでなく、周囲に認知させることだからです。ふたりきりの曖昧な関係は不安定ではかなげに思えますが、みんなが“君たちはこういう関係だ”と認めてくれると、それだけでふたりの関係がより強固な者になったような気持ちになります。ただ、そんなの嘘なのです。関係性はいつだって、曖昧で、はかなげです。

むしろ、曖昧でどんどん変化していくものだからこそ、ひととの関係は面白いのです。

それを手前勝手に名前を付けて、固定して、いらない主従関係やら損得勘定まで持ち込んで、どんどん床ズレを起こしておいて挙げ句の果てには“この関係は間違いだった”なんて、愚の骨頂というほかありません。そもそもどんな関係にも正解なんてないのだし、不変であることだってないのです。どんな変化も乗り越えて、なるべくずっといたいという関係があるのなら、そこに名前を付けて、一面的な価値の上に固定させてしまうことは、少々博打が過ぎると言えるでしょう。

僕はどうしても、そういうふうに考えてしまうのです。

 

このように、アレルギーを起こして気にかけることができない権力関係を、けれども会社では気にかけないわけにはいかず、というよりそれを気にすることこそが仕事をするとうことですらあって、だから難しく感じるようです。

けれどもここで気がつくのは、これまでも無理に名前を付けたり、そこにこだわったりするときに限って、そのひととの関係がうまくいかなかったということです。対して、僕が一緒にいて居心地がいい人や、ずっとこうして関係が続くといいなと思える人は、僕にとってなんなのかと問われると、なんだかよくわからない、と答えたくなるような人ばかりな気もします。

もしかしたら“権力関係に気を配ることが仕事というもの”という決めつけは、僕が勝手にでっちあげた「権力」に縛られてしまっているだけかもしれません。

もともと権力というものは、権威のない人のいうことをきかせるための虚構でしかないのですから、自分でせっせとその虚構をつくりだして自縄自縛に陥っていてはしょうがありません。

 

思い返してみると職場で「できる人」というのはだいたい地位に関係なくなんだか自信に満ちています。

その自信は根拠がないこともしばしばですが、それでもなんだかその自信に権威を感じてしまって信頼してしまいます。根拠もなく権力を意に介さない振る舞いをする彼らが、結局は場を動かしていってしまいます。

そんなものなのか、とあっけなさに愕然としますが、案外、そんなものなのかもしれません。

これからは、あんまり色々気にしすぎないで、権力よりも権威に目を向けて、仕事をしていこうと思います。

これまでも、そうやってなんだかんだうまいことやってきたのですから。

 

結局は「この人とはどういう関係なのだろうか」だとか「この人はどんな人なのだろうか」と気にするよりも「この人といるとなんかいいな」と思い思われることを考えた方が、ずっとうまくいくのです。

わざわざ無理やり権力をでっちあげるなんてことをしていてはどんどん窮屈になってくたびれるだけです。

それだったら、その人のなかにそのつどそのつど権威を見つけ出す工夫をした方がいい。

「誰脳ことを訊かなくちゃいけないのか」と気にできない権力関係をがんばって気にかけるよりも、「この人の言うことならきいてやってもいい」という権威を、相手が自分に対して持ってくれるように、自分をよくみせる努力をするべきなのかもしれません。

 

権威というのはそのひとの人となりだけを根拠としますから、恐ろしいものです。

けれども、自分なりにやっていくしかないというのは、わかりやすくていい。

いつか自分の振る舞いが権威を帯びることを祈りつつ、相関図を描いたり、せっせと名付けててきぱきカテゴライズやラベリングを行うことのできない、非効率的で、どんくさいまま、自分のやれることだけを、自分でもやれる方法で、やっていくしかないのかもしれません。

 

人のことを気にすることは、あまりいい結果を生まないことはわかっていたつもりでしたが、一度「権力」に従順たろうと決めた場所で、改めて我が道をいくことは、勇気がいります。

だから何度も同じような決心をしてはくじけるのですが、懲りずにまた決心をするよりほかはないようです。

めんどくせ。

 

あしたは、ちょっとは仕事を面白く感じられたらいいな。

 

では、また。

2015.02.05-7 ここ数日考えていること

先日母と、母の日の先取りだとしてデートをした。

それは素晴らしいデートだったけれど、わざわざそれを書くのは野暮というものだ。

昨日からながいなだの『権威と権力 いうことをきかせる原理・きく原理』という本を読んでいる。さいきん、親になることについて、なんとなく考えるようになってきていて、親と子の、自然にアンバランスな関係について、ぼんやりと考えている。

 

僕は僕の両親は世界で最高の両親だと思っている。

それも、ワイドショーでマイルドヤンキーが「うちのかーちゃんは、色々迷惑もかけたけど、やっぱり最高のかーちゃんっす」みたいな、アホ丸出しの自己愛でのうのうと言いのけてしまえるような、都合のいいおべっかではない。

僕の両親は、ほぼ、完全無欠だった。

永い子供時代、すべてにわたって、あのふたりが僕の宗教だった。

僕はふたりの感情的に口論する様を見たことがない。僕はしばしば寒空の下ベランダに締め出されたりひどい仕打ちも受けたが男児のしつけは犬の調教と同じようなものなので多少の荒っぽさは仕方がない。犬畜生相手に人間様の倫理観を適用しても仕方がない。

ただし、人間の男児はいくらアホでそのときは犬であっても、やっぱりいつかは人間である。

ただ愛玩動物として扱っていてはいつまでも犬みたいなまま人間みたいになってしまうし、犬だと思ってずさんに扱い、愛というものを忍耐や憤りそして諦念が生む幻想だとあまりにはやく気が付かせてしまうと、自らが動物であることをすっかり忘れたもっともアホな人間になってしまう。

ともかく、僕の両親は僕に対してほとんど、ギブとテイクの支配する、仕事のような人間関係を、困ったらとりあえずヒステリックに相手を責めるような、安易な駆け引きを、決して僕に見せなかった。僕は愛をディズニーではなく、両親から教わった。彼らの僕への愛は、「めでたしめでたし」のあとに僕らが夢見るものそのものだった。

それは僕がいわれなくてもものわかりのいい器用な「いいこ」だったからでもあるのだけど、それはまた別の話。

 

とにかく、今振り返ってみても、親との関係でトラウマと呼べるものがひとつしかない。

そう、ひとつある。

ながいなだの著作を引き合いに出して言うならば、僕の両親にとって権威と権力は矛盾なくひとつだった。ここでいう権威とは「自発的にいうことをきこうと思わせる力」、権力は「有無を言わさずいうことをきくことを強制する力」のことだ。

ながいなだの著作では権威にふさわしくない個人が権威ある地位についたとき、その個人の権威に依存していた組織は求心力を失いまとまりを失う。そのときはじめて強制力のある権力が必要となる。そのように論じられている。

僕は子供の頃からこの権威に対しては病的なまでに素直だった。

自分が権威を認めた相手に対しては、盲目的に「いいこ」だった。

対して権威なきところには無情だった。

権威と乖離した権力にたいしては徹底的に抗った。

だから僕は尊敬する個人、両親に対しては「いいこ」だったが、それ以外の学校や習い事の場に対してはもうものすごく「めんどくさくて嫌な奴」だった。

僕のトラウマは、母の背後に、権力を感じたというものだ。

それは次のようなエピソードだ。

 

✳︎

 

小学生低学年のとき、国語の授業で小説を読んだ。

よくある戦争もので、それは筆者が、幼いころの自分とその母親との関係を回顧する形をとったものだった。そもそも、年寄り物書き連中が戦争を「回顧する」形でしか書いてこなかったことは、さっさと「過去」という他者性をひっつけて好き勝手書き散らかすための、まったく許しがたい書き手の怠惰だと思うのだけれど、それはまた別の話。

とにかく、その小説になかにこういうシーンがあった。

戦況が悪化し、食料の配給もままならないなか、ついに出征する父を見送る母は目一杯のおむすびを父に持たせて涙をこらえながら父を乗せた列車を見送る。もうおむすびは小さいものがふたつ、母と幼い筆者のぶんが残されただけだった。母とふたり駅のホームに残された筆者は心細さと空腹からわんわんと泣き出す。母がおむすびを与えても、いくらあやしても泣き止まない。ふたりとも、ここ何日もお米を食べておらず、疲弊しきっていた。父の出征のために、やっとの事で手に入れたおむすびだったのだ。泣き止まない筆者のために、母は自分のぶんのおむすびも息子に食べさせてやるのだった。

授業では「このとき筆者とその母親の気持ちを考えましょう」という設問があって、あてられた人たちが教科書の後ろの方にある解答例を盗み見ながらノートに書き写した「解答」を答えていく。

「お父さんがいなくなって心細い」

「これだけしか食べさせてあげられなくてごめんね」

そんななか母じゅが書いていたのが確かこんな感じだ。

息子の気持ち「わーーーん。わーーーーーん。お腹が空いたよォォォォォォ。これじゃ足りねえよォォォォォォォォ」

母の気持ち「ちっくしょう。こいつが泣き出しやがったせいでおむすび食べれなかったじゃねえかよォォォォォォ。ムカつくわーーーーー。こんなガキいなければよかったのにィィイィィィ。腹減ったァァァァァァ。」

無駄にハイテンションで、図らずも当時まだ読んでいなかったジョジョみたいな台詞回しなのが、小学生低学年ならではの低脳さをよく表していると思う。

ともかく僕はこの「解答」を、この文章の孕むテンションを忠実に再現して発表した。教室は大爆笑だった。一部の女子と先生を除いて。

先生は、「ほんとうに、そう思うの」と言った。

「え、はい」と僕は答えた。

 

その夜、僕は母の寝室に呼び出された。母は僕の国語のノートを持ってベッドに腰掛けていた。

僕はその前の晩、母が寝室に父の引き出しから落語のカセットを探しといてあげると約束してくれていたので、おさがりのカセットプレーヤーを持ってうきうきしながら寝室へ向かった。

「そこに座りなさい」

なんとなく、しんとした声にはてと思いつつ、僕は仕事に行っていまは無人になっている父親のベッドのがわに腰掛けた。

「これはほんとうにあなたが書いたの」

母は僕の「解答」を指差しながら泣いていた。とても悲しそうだった。

「あなたは、こんな、優しい、だから、こんなこと書く子じゃないよね…?」

低脳だった僕はそれでもここでわんわんと泣き出して許しをこう程度にはもう人間だった。

母を悲しませてしまった。

それがただ悲しかった。

ふたりでわんわんと泣いて、泣き疲れたころに、「落語、きく?」と母は引き出しの奥から発掘してくれた、微かに埃の匂いがする父のカセットコレクションを僕に渡してくれた。

母がキッチンに立って、一人残された寝室で、僕はベソをかきながら落語を聞いた。たしか志ん朝の「箪笥」だった。それ以来しばらく、僕は、やたらセンチな戦争ものと、じじいの枯れた落語とを毛嫌いするようになった。

落語を好きになり直すのはそれから四五年後、『タイガー&ドラゴン』にはまるまで待たなくてはいけない。やたらセンチな戦争ものはいまでも大嫌いだ。

 

✳︎

 

これまで、このエピソードは、「あんなにも深く母を傷つけてしまった」というトラウマだと思っていた。

けれども前に書いたように、たぶんそれだけではない。

僕は、母の背後に、権力を感じたのがたまらなくショックだったのだ。

あんなにも気高く、権威のある母もまた、権力を盲目的に信じ込んでいる、ということがショックだったのだ。そんなことを、ここ数日で、なんとなく気が付いたのだった。

 

やたらハイテンションで残酷な台詞回しには、僕も僕のことながら想像力の欠如した低脳の極みだそりゃ母ちゃん泣くぞ、としか思えないけれど、じゃあいまおなじ質問をされても、「お腹空いたなあ」くらいのソフトな表現にはするだろうけれど、おなじことを書くだろう。

そもそもあのころはたぶんに八割方ただのウケ狙いで極端なことを言ってみたかっただけで、だれも本気でそんなこと思ってるわけないじゃん、という前提のもとにへらへらしてたら、ジョークがきつすぎて先生のような「ご立派な良識家」によって人格破綻者かのように母親に報告されてしまったわけだ。

 

僕は、母が僕自身よりもその「ご立派な良識家」を信用してしまったことが悲しかったんだと思う。

僕のジョークのセンスは最悪だったかもしれないけれど、僕が最悪じゃないことはだれよりもわかっていてくれていると思っていた。

 

僕は多分、そういう悲しさを感じていた。

 

戦争だろうが親子だろうが、空腹ってのは絶対にあって、親というのは子供にとっては宗教でもほんとうの神様じゃないから、腹も減るし自分じゃない自分の子供よりも自分の空腹の方が切実であることだってあるだろう。

それなのに、どんなに自分が辛くても、喜んで子供におむすびを差し出すべし、なんて、これがこの作品に潜む筆者や出題者ののエゴなのだと思うし、アホな牛だったころの僕もそれを感じ取っていたのだと思う。

「母」たるもの、かくあるべし、という権力。

アホな牛は思った。くそくらえ。僕もまったくそう思う。

いいか、「母」の内面なんてどうだっていいのだ。

空腹のあまりふと内心我が子を憎んでしまったとしても、それでも、子供におむすびをゆずってやるという行為は美しいままだ。

むしろ、そうした心情と行為の乖離にこそ、美しさがある。

それなのに、内面まで「母らしくあれ」なんて、「母」をなんだと思ってるんだ。都合のいいステレオタイプで、吐き気がする。

「母」だって、親だって他人なのだ。個人なのだ。役割についた名前なんてどうでもいい。何を為したかだけが問題で、何を思ったかは、言わない限り、どうでもいいのだ。「母」だって、ただひとりぼっちで飢えた個人なのだ。おむすびを食べれない恨みが、どれほどのものか。

いまこうして書いていて思い出したけれど、「なぜこんなことを書いたか」と追求する先生に、アホな僕は「食べ物の恨みは怖いですからね」ととぼけたのだった。それは真実だろう。

ともかく、母が母の権威的な行いの裏で、ぐっとこらえて決して言わないその正直な気持ちを、ウケ狙いでこそあれ、設問にしたがって答えてみせたとたんに、「良識に反する」と断罪されてしまったことが、どれだけ悲しかったか。

僕はもう、当たり前のように知っていたのだ。僕の母も、おなじようにおむすびを与えてくれるだろうと。

でも僕は、母が喜んでそうしてくれることなんか、ちっとも望んでいなかった。

僕は母が、「母」でなくても大好きだったからだ。

名前なんか、どうでもいい。僕でも母でもない誰かが名付けた地位なんか、心底どうでもいい。

母が「母」ゆえにする行為なんて、母の権威が「母たるものかくあるべし」という権力に回収されてしまう感じがして、いやだ。

「母」らしい行為なんて、求めちゃいない。

「母」であることも、べつにどうでもいい。

愛してくれたから、母なのだ。愛だけが、僕の母の権威だった。

「らしさ」なんて、外から権力的におしつけられたうすっぺらい「権威」に、僕の母の権威はない。

アホな牛の僕はおそらくこんなことまで感じていた。

だから母が泣きながら、僕に「母」としての権力的な「権威」を示したとき、僕はショックだったんだと思う。

僕は、たとえおむすびをふたつともひとりじめして食べてしまったとしても、母が好きなのに。

 

こうして書いていると、きっと僕の母はいくらかは僕が母の「息子」だから愛してくれたのだし、愛の根拠が外にある権力を介した権威にあることにも気がつくのだけど、それはまた別の話。

まとまらない文章が余計にとっ散らかってしまう。

 

ともかく無理矢理まとめよう、どんなものごとも、いま「どうしているか」が肝心で、「どう思ってるか」なんてどうでもいいってことだ。

 

僕にとって、母が最高の人物ならば、実は母がものすごくアホで牛並みの知性しか持っていなかったとしても、いつか殺したいやつのリストをこっそり書き溜めていたとしても、とても言えない恥ずかしい性癖を隠していたとしても、ほんとうは僕のことをそんなに好きじゃないとしても、関係がない。

なにがあっても、僕にとっては最高の母だ。

周りに分かりやすい「名前」も、「理由」も、「倫理」も必要ない。

そういうものじゃないのか?

 

うまくまとまらないので、半端にぶん投げておいてまたにする。

 

じゃあまたね。

2015.02.04

きょうの仕事はくたびれた。

帰りにダイエーで同居人の女の子と待ち合わせてお米と洋服の洗剤を買い込む。

重いので別の同居人が車を出して迎えにきてくれた。

ついでにと、ここらで暫定いちばん旨いというラーメン屋さんまで車を転がしてもらう。歩いていくにはちょっと遠いのだけど、車だとあっという間だ。

人気店のようで外で席が空くのをまっていると赤ら顔のおじさんがあとからやってきて、ここらではうまいんだよここは、昔からこのへん住んでるからさここに移転してくる前から食ってたな、あそこの店は潰れちゃったんだよな、ここは若いもん向けなんだよな味がさ、なんて具合に、少しお話をした。こういう、袖ふれあうくらいのなんてことないやり取りが、なんだかとても好きなのだ。ラーメンはたしかに旨かった。

 

車から家にお米を運びながら、前を歩くふたりの後ろ姿が、家の灯りに照らされている様子を見て、なんとなく、この景色はこれから何度も思い出すかもしれないな、と思った。

そういう景色というのは、ほんとになんでもないときに、なんでだかふと現れて、だいたいそういう予感は、当たるのだ。

なんだかすっかり遅くなっちゃったな。

さっさと寝よう。

2015.05.03

今朝は早起きして昨晩干した洗濯物を取り込もうと、二階のベランダにつづく四畳半の部屋を開けると二、三人の見知らぬ女の子の寝乱れ姿が転がり込んできて、びびった。取りこむことはあきらめて、仕方なく、いつもより余裕のある朝をぼけーっと珈琲を淹れてのんびり過ごした。いつもより30分余裕があるだけで、気持ちの持ちようが全くちがう。やっぱり早起きはいいものだ、と思う。長続きしないけれど。

 

昨晩の残りのカレーをお弁当に詰めて、それだけでうきうきした気持ちで家を出られる。駅までの道にほとんど人気がなくて、世間はお休みなんだな、と思う。

 

仕事は思ったより忙しくないと拍子抜けしていた午前中が懐かしくなるくらい、午後からはたいへんだった。朝から気分が良い時に限って、ふわふわしてつまらないミスばかりする。きょうだけでいくつやらかしたか、数え上げると落ち込みそうだ。

 

お昼のお弁当のカレーは一晩寝かしただけまた格別で、お腹いっぱい食べてうとうとしていたら午後もまた頑張れた。

 

だましだまし定時にあがって連休で親戚が集まっている祖父母の家に急ぐ。

庭でBBQをするのがゴールデンウィークの恒例行事となっていて、もちろん着くころには終わってしまっているのだけど、炭に火がまだ残っていて、とっておいてくれた具材を焼いてくれる。椅子に座ってビールを飲んでいると、母とおばと従妹が三人がかりで焼いては皿に持ってくれる。なんだお前、王さまみたいだな、とみんなが笑う。

食後は熱いお茶を淹れてもらって、おやつをだらだら食べながら、自分以外のみんなが行った沖縄旅行のビデオを眺める。「ここの飯は詐欺だった」だの「船に酔って地獄だった」だの、大変楽しそうでよい。文句言うなら代われこら。

お腹がこなれてきたらお風呂に入って、みんなと過ごしているとすっかりお休み気分で、明日仕事だということを忘れてしまいそうだ。

横浜の祖父母の家でみんなと集まることは、それこそ高校のころまでは連休中にしかありえないことで、だからいまでも、横浜の親戚のみんなと会うとなんだか夏休みのような気持ちになってしまう。

明日仕事なのかあ。

信じがたいな。

洗濯物は今も野ざらしのままだろう。