2020.01.01

(…)いずれにしても、彼女は心安らかに暮らしていた。たしかに、勉強をして、夢に見るように学校の先生になることはできなかったが、今、彼女は薬草医として、ある人たちの見方では千里眼として、大勢の人々に感謝されていたし、それも彼女が彼らのためにしたほんのささいなこと、ちょっとした助言、小さなアドバイスでだった。たとえば彼女は食物繊維を食生活に取り入れることを勧めた。食物繊維というのは人間が食べられない、つまりわたしたちの消化器官が消化吸収することのできないものなのですが、トイレに行ってうんちをするには、いえ、失礼しました、排便するにはとても役に立つのです、と彼女はレイナルドと品のよい視聴者の方々に向かって詫びながら言った。セルロースを分解し、グルコースを吸収できるようにする機能をもっているのは草食動物の消化器官だけです、とフロリータは言った。食物繊維というのは、セルロースやそれに類する物質の俗称です。これを摂っても、人間のエネルギー源にはなりませんが、健康にいいのです。吸収されない食物繊維は塊となり、消化管のなかでも同じ大きさを保ちます。それによって腸内に圧力がかかり、腸の活動を刺激し、消化の残り滓が長い腸管のなかを容易に通過することができるのです。下痢をするのは、いくつかの例外を除いてよいことではりませんが、一日に一度か二度トイレへ行くことは、落ち着きとバランスを、ある種の内的平和をもたらします。大きな内的平和というのは大げさだとしても、小さくとも輝くような内的平和です。食物繊維に象徴されるものと鉄に象徴されるもの、そのあいだにはどれほど大きな差があることでしょう! 食物繊維は草食動物の食べるもの、それは小さく、わたしたちの栄養分にはなりませんが、跳び豆ひとつ分の大きさの平和を与えてくれます。(…)

ボラーニョ『2666』野谷文昭・内田兆史・久野量一訳(白水社) p.446

 

今年の抱負は「食物繊維は大事」にします。

この直後に「いっぽう鉄は…」と鉄がもたらす暴力、鉄が象徴する暴力をディスり始める、その脱線と連想の楽しさににこにこする。「犯罪の部」の再読は、初めてのときのただ辛かったという印象と違って、フロリータ・アルマーダの健康に役立つ小噺もそうだし、随所にユーモアや探偵小説めいた冒険が散りばめられていて、面白く読んでしまう。けれども、やっぱりただ面白がるにはあまりに生々しい暴力の淡々と膨大な記述がじわじわと効いてくるようだった。この、俺はどんな気持ちで読んでいるんだ? と混乱していく、この混乱こそが僕はボラーニョの醍醐味だった。

滝口悠生もそうだが、会話を括弧で閉じず地の文のなかでするすると流れていくに任せる書き方が僕は非常にしっくりくるみたいで、気持ちがいい。

 

カウントダウンライブから帰って、午前三時にうどんすすって寝て起きたら昼で、これ以上ないくらい杜撰なお雑煮を食べながら紅白の録画を飛ばし飛ばし観た。YOSHIKISS ときよし。

奥さんと手を繋いで隣町のシネコンに行き、ヒロアカの映画を観て鼻水と涙で脱水気味になった。僕は一人一人の生徒の親御さんの気持ちで見てしまって、だから二十人分泣いた。序盤の、にこやかに電話対応するみんなの姿でもうボロボロに泣いていた。こんなに、立派になって。奥さんは、こんなの結婚式じゃん、と赤い目で言った。とても良かった。あと何回観ようか、と話しながら帰宅。同居人お手製のとんでもなくおいしいおせちをみんなで食べる。