2020.11.23(1-p.365)

起き出して松井さんにグッズの売れ行きのメールを送って、ZINE の寄稿者の面々に献本を郵送する準備を整えた。寝室の窓を開け放って掃除もした。ホットチョコレートを飲んで、ポッドキャストの録音。それから今日はもうぱーっとやろうや、と浅草に出かけた。バスの中でもうお腹が空いてしまって焦る。バスを降りてからも10分くらい歩きそうだった。歩いている道中にミッフィーのお店を見つけてつい入る。ブラックベアのぬいぐるみと目があって抱いてしまった。本の読み過ぎで真っ赤に充血した目でこちらを見上げてきていたのだ。あとコーデュロイミッフィーも奥さんが抱いてしまった。5000円以上買うとお皿がもらえるというので、二枚もらえる金額だけの買い物をした。ぱーっとしていた。

川を眺めながらバインミーを食べられるお店に到着して、甘ったるいベトナムコーヒーと一緒にいただく。窓際のカウンターに二人で並んで食べていたが、バインミーというのは、気になる人と来るには向いていない食べ物だと思った。奥さんも、ここは川を見ながら並んで食べれるからまだマシだけど、本店では向かい合わせに座った学生がみな顔をシワクチャにしながら食べているわけでしょ、と言った。潜水艦みたいな変な形の遊覧船が目の前を往復していく。雨が降りそうな雲ゆきだった。

それからフグレンでカフェラテをテイクアウトして、上野まで歩いた。いろいろとお店を見て周り、満足して帰宅。よく歩いてくたびれた。

2020.11.22(1-p.365)

朝はどんどん調子が悪くなるHUAWEI にとうとう愛想を尽かした奥さんがiPhone を買うというので秋葉原のヨドバシの開店するころを目指して家を出た。そのまま近くのカフェでモーニングをいただくが、パンがうまく喉を通らない。僕は一年ぶりの文フリをとても楽しみにしていたのだな、と思う。最近は賃労働も忙しく、この日をひとつの区切りのように思ってやってきたところもあり、やはりお祭りがあるといいうのはいいことだと思った。

それでのんびりと会場に向かい、ぶじ荷物は届いていて、せかせかと設営をする。会場のアナウンスで既に泣きそうだった。運営の方々の苦労を思ってというわけではない。苦労は特にいいものでも褒められたものでもない。ただ、よかったねえ、という気持ちでいっぱいになった。開場してすぐに松井さんも来てくださって、トートバッグとスウェットを受け取る。めちゃくちゃ可愛い。最高。これは最高のやつだ。さっそく奥さんと二人で着て、松井さんも着てきていたので、世界で三人がこの素晴らしいスウェットを着ている。XL がさっそく売れていき、所持者は世界で四人になった。西さんもTwitterで「可愛い」と反応されていて、描いたご本人も気に入っているというのは嬉しいことだった。『ZINE アカミミ』の売れ行きも好調で、『プルーストを読む生活』の束見本の反応もすごくよかった。まだ買えないのか、とがっかりされる方も多くて、そうだよね、紛らわしいよね、即売会なのにね、と思う。トートは予想外の動きを見せて、これは即完売だろ、という白のトートがひとつも動かなかった。陳列の仕方に問題があったろうか、悔しいというか、可愛いトートに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。お披露目してからいい反応をTwitter では貰ってはいたので、WEBショップで買えるものを即売会ではわざわざ買わない、ということかもしれなかった。しかし、悔しい。くそー、と思う。こうして自分の大したことのなさを思い知れるから即売会はいい。いろんな人にも会えて嬉しい。一年前よりもずっと知り合いが増えた。こういうのも楽しい。ご飯がないのは寂しいが、今年は仕方がない。閉場のアナウンスでも瞳を潤ませていた。そうしたら店じまいに出遅れて、もたもたとした。

終わるとくたくたで、会場前で秋葉原で買っておいたパンをほおばって、モノレールのピークが終わるのを待った。まっすぐ帰宅して、そのままの勢いで奥さんは荷ほどきを始め、僕はお寿司の出前をとった。ささやかな打ち上げ。熱いお茶を淹れて乾杯した。桶をつつきながら、出前というのはすごい、わざわざ家まで届けてくれるなんてすごい発想だ、などとお寿司を称え合いながら、お互いの健闘も称えた。それでそのままぐったりと布団に倒れ込んだ。

2020.11.21(1-p.365)

YouTube で『羅小黒戦記』の連続WEBアニメ版を見たり、『ゼルダ無双』で遊んだりしていた。『ゼルダ無双』は原作の、どこまでも行ける! どこへでも行ける! という喜びがないのがやはり寂しいが、物語としてはとてもいい夢小説といった感じで、嬉しく進めている。主に奥さんが楽しく遊んでいて、バッタバッタと敵をなぎ倒していく。

今回は先にものを送っているので、文フリの荷造りは楽ちんだった。明日も朝はのんびりで良さそうで、それでも謎の緊張があった。胃のあたりがふわふわして、寝つけそうもない。

 

2020.11.20(1-p.365)

仕事の切り上げ時を決めあぐねていたら、映画がやっと完成したよの歌を歌うスタッフたちが可愛い動画を見た奥さんが、やはり観にいかねば、と言ったのでさっさと切り上げて『羅小黒戦記』を観にいくことにした。とってもいい映画だった。アニメーションの喜びが満ち満ちていて、お話も好みだった。居場所を求める話に弱い。よかったねえ、と二人でほこほこと帰って、映画がやっと完成したよの歌を歌うスタッフたちが可愛い動画を何度も再生した。

2020.11.19(1-p.365)

精神の交互浴のような一日。

賃労働の現場で交歓の瞬間があったと思えば、その人とのあいだで業務上しんどい交渉が必要だったり。生活のほうも、みんな大変だ。そんななか、ずっと丁寧に準備してきた『プルーストを読む生活』の一般流通版の告知も始まった。夕方くらいからですね、と松井さんと相談していたのだけど、友田さんがさっそく昼ごろに気がついて、早い! と思って見に行くと版元ドットコムのリンクを悪漢と密偵さんがツイートしてくれていた。悪漢と密偵さんが何者なのかは知らないが、すごい速さで新刊情報を教えてくれる人、という印象だった。自分たちの本が、すごい速さで紹介されることになるとは。

 

賃労働はそこそこに気張る。

 

夕方ごろ、気持ちを新たにH.A.B の告知を追う。僕も2時間ほど間隔を空けてからツイートする。

本日記は『失われた時を求めて』を読んでいる、というだけで、それはなにか解説書の類でも、読書記録の類でもありません。むしろプルースト以外の本を大量に読み、仕事に疲弊し、悩み、気を紛らわせ、本が読めないと嘆き、そしてまた本を読む。そうした、普通の日々を、毎日の日付とともに読了ページ数が表示される『失われた時を求めて』に寄り添われるようにしながら書き続けられた、ただただ読書は楽しいなぁと、そんな気持ちになる約一年間の日記です。 https://note.com/habnoweb/n/nb7a5459b9ed6

この紹介文がしみじみ嬉しくて、いままさに「仕事に疲弊し、悩み」しているからこそ染みて、嬉しいなあ、と思う。

今回は僕は加筆部分はちょこっとだし、お手伝いできたのは校正くらいで、ほとんどのことは松井さんや、中村さんや、平本さんや、西さんの仕事によってできた本、という感じがしている。もちろん、僕が書いたものがあってこそだというのは分かっているし、安易な謙遜がしたいわけじゃない。僕が日々書くのは「活動」みたいなものに近くて、それに形を与えるのは「仕事」なのだ、みたいなことをたぶん思っている。モノをつくる人たちはすごい。僕が、とかじゃなく、松井さんや中村さんや平本さんや西さんの仕事が報われるように、めちゃくちゃに売れて欲しい、そのためならできることなるべくやりきるぞ、という気持ちになっている。自分一人で作ったZINE を納品するときに30mm 以内に納めることの重みは思い知っている。送料が全然違うのだ。それを15mm も上回る本を、そのほかにも贅沢な仕様で、だいぶコストのかかる本を、作っていただいた。そうであるならば、この仕事に携わったすべての人に、ちゃんと利益という形でも報われて欲しい。そう思う。

長くずっと売っていくためにつくった、松井さんはそうおっしゃってくださった。めちゃくちゃに嬉しい。だからこそ、慌てるくらいの速さでたくさん売れてくれたらいいなあ、とツイートの告知欄を二分おきに見に行ってしまう。

 

夕食前、母に電話する。楽しみだねえ、と話す。「プルーストを読む生活」というワードが含むツイートがあるとIFTTT で家のSlack に通知がいくようになっているので、さっきからすごい賑やか。奥さんは「うちの人がISBNコード付きになるぞー」と嬉しそうだ。それなら僕も嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。

 

 

2020.11.18(1-p.365)

職場の近くの書店で『人間の条件』を買う。なんだかんだで直接アーレントを読むのはこれが初めて。これまでどれから読めばいいかわからなかった。『アーレントマルクス』を読んで、ようやく読むとっかかりができた気がした。マルクスもかなり休み休みだけれど、マルクスの息抜きにアーレントを読んで、みたいなのもいいだろう。こういう本を読むときに物怖じしなくなったというか、楽しく読めたらいいなあ、とだけ感じるのはすごくいいことだと我ながら思う。

 

序文を読んで『我々は人間なのか?』を思い出す。テクノロジーへの疎外、というような危機感から始まっているということを知るだけで、「世界」をつくるモノの重要性を説くアーレントの「仕事」観の捉え方がまた変質するようだった。

 

今日もまた暖かい。調子が狂うなあ。

 

今週は家に帰っても奥さんが仕事していることが多くて、家に帰ってもそこが職場のようで、奥さんもだいぶ消耗していてしんどそう。お腹に湿疹ができており、そうとうまいっているようだった。

2020.11.17(1-p.365)


アーレントマルクス』を読み終える。とてもいい本だった。アーレントの「世界」を制作する「仕事」の再評価、というのはそれこそ青木さんと百木さんのイベントのさいにセットでついてきた『失われたモノを求めて』でも中心に置かれていたアイデアで、僕はやはり唯物論者なのだろうな、モノ大好きだもんなという思いを強くした。
 
テーブルと椅子があって初めて人は食卓を囲むことができる。食事を準備し、楽しむことは生命維持に欠かせない反復運動という意味で「労働」であり、語らうことは「活動」である。アーレントが最上のものとした「活動」は、「仕事」によって作り上げられ、メンテナンスされてきた具体的なモノ=「世界」がなければ、そもそも現れるための足場がない。日々の生存を旨とする生命活動としての「労働」に塗りつぶされてしまったら、「活動」する暇もないどころか、「世界」が先細っていく。僕達が、異質な他者として、複数性を損なわないままに出会うためには、流動的な状況のなかに打ち立てられた安定した場所、「世界」が必要なのだ。僕たちはモノがなければいることも、いつづけることも、いかたを変えることもできない。「活動」や「労働」は、その性質からして儚い。常にプロセスとしてしかありえないのだ。だからこそ、その儚さを仮留めし、行為者よりもすこしだけ長持ちするモノが必要になってくる。
僕は構造主義者だとも自認しているが、ここでいう構造とは、アーレントの「世界」、具体的なモノのことだと言っていいかもしれない。
 
そのままの勢いで久しぶりにマルクスを開く。よお、久しぶりだな。相変わらず悪態がすごいなあ。