2015.03.10

早起きしてゴミ出しと、スーパーへおつかいに出かける。

実家で目をさますと、一瞬、自分がまだここで暮らしたころ、高校生のころの感覚で目が覚める。ぼんやりと学校に行きたくないと思い、すぐにその必要はないと気がつく。

気圧が高く体が軽い。視界もわーッとひらけるようで爽快。

朝ごはんは母の手作りのシナモンロール。『かもめ食堂』にでてきたやつ。

美味しい。

あと、パプリカ、バジルとトマト、ブラックペッパーの三種のハムを薄切りにしたバケットにのっけて食べたのも美味しかった。

今朝は東西に散り散りになった家族がみんなそのリビングにいて、忘れないようにと写真を撮った。

妹が出かける。もう夜僕が横浜の家に帰るまで戻らない。

そのまま妹について外に出る。駅前でおわかれする。妹とはいま向こうで近所なのだし、いつでも会えるような気がする。

天気も良く、気持ちがいい高気圧で、全能感溢れるまま、実家から歩いて10分くらいのところにあるアルペンでジャージの上下とだっせえスニーカーを買った。しめて6000円弱。激安。

個人的には安く済んだことも含めて、とても誇らしく嬉しい買い物なのだけど、品物がださすぎて写真をあげる気にはなれない。なにしろ高校生の頃の体育館シューズのような、真っ白い代物なのだ。

ともかくこれでランニングによる禅的探求の日々が始まる。

高まる気持ち。

ご機嫌で帰り道、ふと思い立って、実家の隣に引っ越してきた恩師の新居に突発的に押しかけて三十分くらいの短い時間だったけれども楽しくおしゃべりをして過ごした。いつあってもこの人は変わらなくて大好きだ。

三階にある先生の新居からは我が家が見下ろせた。それはとてもへんなかんじだ。自分の体みたいに馴染んだ家が、一気にここまで広がったような気持ちがする。

また電話をするね、といって別れる。安心できる場所の近所にまたひとつ、ふらっと寄りたくなるような居場所ができたのは嬉しい。

リビングで両親と弟とかんたんなお昼ご飯を食べる。

父が仕事に出かける。あっさりといってらっしゃいと見送る。またいつでも帰ってこられる気がする。四月に異動はあるのだろうか。もっと忙しくなるのだろうか。

しばらくお茶を飲んでのんびりしたのち、母と弟と三人で出かける。前回の帰省でみつけてお気に入りの古本屋さんで弟とふたり、ばかみたいに大人買いする。

帰りがけ店主さんに「ご家族ですか。みなさんチョイスが鋭く将来が楽しみですね」なんておだてられて嬉しい。

きょう買った本たち。

テーマは「お洒落とかじゃなく、ほんとうに自分がとりたいポォズをとり、ありたい在り方を探求する」

人の目や関心を、はなから気にできる体質でないのだから、清濁併せ呑んでカッコ悪いほうの欲望や好奇心も自分であると受け入れようと思った。

都会的でそつない洗練された大人になど、まだまだなれそうにないのだから。

いまもまだ、自分は、しょうもないプライドと、変に頑固な素直さと、青臭い正直さが恥ずかしく匂い立つ、若造にすぎないのだ。それを認めようと思った。

社会人1年目が終わりかけている。

気持ちだけ老成した新人ほど使いものにならないものもなかったろう。素敵なオトナはちゃんと成熟するまでお預けだ。生意気で青臭い、嫌な若造にもどろう。くたびれても鈍化せず、我が物顔で悪態をついていこう。いまは、まだそのほうが、ましな人間になれる気がする。

長らく色々すっ飛ばして早くオジサマに落ち着きたいと思っていたけど、それは無理な話だった。

いま、まだまだ若造でいいんだってようやく目が覚めたような気持ち。もう自分の青さをためらわない。おさえこまない。恥ずかしげもなくとんがろう。そんな風に思えたのは、とても大きなことかもしれない。

求められていたのも、思えばなにより「若さ」だったのだな。

もう若くないと思ってた。そんなことないと気がつくのに一年かかってしまった。

さ、明日からお仕事。

またくたびれる日々がはじまる。

名古屋は横なぐりの雪。急転直下の低気圧で頭がとてもいたい。

弟は友達と夜遊びにでかけ、雪で新幹線が止まるとことなので、母とふたりで早めの夕ごはんを済ませて駅まで送ってもらう。

夕ごはんは豚とキャベツとブロッコリーの蒸し焼き、餃子、味噌大根、白菜の味噌汁。

新幹線口の改札を挟んで、向こう側に何度も振り返っては手を振る。

何度も何度もこうやって、ここを離れていく。

どうやら横浜も雨らしい。早速今晩のランニングは諦める。はたしてほんとうに始められるかしら。

なんにせよ、なるべく元気に、若くかわいく恥ずかしく、暮らしていこう。仕方がないから。

猫十字社も『小さなお茶会』だけで生きていたわけではない。同時期に並行して『黒もん』を書いていた。

無理に張り切って、うんときれいであろうとしたこの一年はしんどかった。

でもそのおかげで好きなものを素直に好きと言えるくらいには、自分を大事にしなくても平気になった。そう信じたい。

これからは、ひとまず、30までは悩める青年を気取ろう。勘違いしよう。自己愛を恥ずかしげもなく愛嬌として振りまこう。かわいいをつくろう。楽しい悪口を言おう。

ながらく迷子だった努力の方向性が、実るイメージのできるほうに修正されて良かった。自意識を内ではなく外に研ぎ澄ませよう。そりゃもう過剰なまでにそうしよう。しゃー、これからは積極的に消費されていくぞー。


人間は年をとったくらいでは成長なんかしません。おじさんが落ち着いて見えるのは、元気がないからです。それだけなんです。
リリー・フランキー