2016.06.02
前回の文章はiPadを使って書いた。
予測変換のある媒体で打ち込む文章は、キーボードで打ち込む言葉よりもぼんやりとする。
雰囲気だけでどんどん前に進めてしまうから。
ここ数日ほんとうに無気力で、鬱っぽい。
季節の変わり目なんだな、と思う。
とくだん言いたいことも、考え事も、楽しいことも、悲しいことも、なにも思い当たらず、ちょっとこれは良くないなと思い、こうして書いている。
書き出したのは、そういう、セルフケアのような意味もあるけれど、うちの人がまだ帰ってこず、一人の時間ができたからというのもある。
うちの人はこれまで、だいたいぼくと一緒の時間に家を出て、ぼくよりも先に帰宅していた。
けれども部署だかが変わって、これからはぼくよりも早く家を出て遅く帰るようになるらしい。
これから自分の仕事がどんどん忙しくなるのが目に見えていて、うちの人との時間がなくなっていくのがすごく嫌だった。
けれども、うちの人のほうが先に忙しくなってしまった。
ここまで書いて、さいきんの憂鬱の主な原因は、「自分がこれから忙しくなり、帰れず休めない状況に置かれるのが目に見えている。けれどもぼくはなるべく多くの時間をうちのひとと一緒に過ごしたい。そんな気持ちはお構いなしに、じわじわ仕事が忙しくなてきているのがわかる」というものだったのだと思い至る。
ぼくはうちの人とずっと一緒にいたくて、けれどもそれがぼくの都合で叶わないというのが、自分で思っている以上にストレスだったらしい。
うちの人が忙しくなった途端に、鬱憤がちょっと晴れている。
うちの人の忙しさは、ぼくの忙しさ以上にどうにもできないからだと思う。
どうにもできないことは、思い悩んでも仕方がない。そういう諦めの良さだけは、なぜだかずっと持っている。
このままうちの人が忙しければ、ぼくも仕事で遅くまでねばることを躊躇わなくなるかもしれない。
これからは夕飯について工夫しなくちゃいけないな、と思う。
これまでは、ぼくより早く帰ったうちの人が夕飯を作っていてくれた。
うちの人のご飯はとても美味しくて、「きょうはこのご飯を食べたから、なんだかんだいい日だったな」と思える。
まだぼくが早く帰れるうちは、ぼくが「いい日」を作っていけばいい。
10分でも20分でもうちの人より先に帰れたのなら、そこからちゃちゃと作れるようなレシピをたくさん覚えよう。
うちの人の朝が早くなった分、そこで一緒に起きだすことができれば出勤までの時間に余裕ができる。そこで夕飯を仕込んでおくのもいかもしれない。
夏が来るからちょっと気を使うけれども。
「なんでこんな忙しい会社に入ってしまったんだろう」と考えているうちは落ち込むばかりだった。
たとえば、会社なんかよりもずっとずっとうちの人が大切で、けれどもそういう価値観は、サラリーマンを続けているうちは不満ばかり引き起こしていいことないじゃないか、であるとか。
たとえば、いまの生活が好きでいると、それはそれでいまの状態が失われることの不安で落ち着かなくてしんどいな、であるとか。
余計なことばかり考えるようになってくる。
そんななかじっさいにうちの人が忙しくなって、「この二人とも忙しいなか、どうやってご飯も睡眠も諦めずにやっていこう」と考え出すと急にすこしましな気持ちになってきている。
一番いいのはドリームジャンボが当たって、ふたりとも働かなくてよくなることなのだけれども、ドリームジャンボはなかなか当たらないので、当たるまでは働かなくてはいけない。
いままでどおりとはいかなくても、いままでのように楽しく生きていくことはできる。
きっとできる。
いや、あんまりに忙しいとくじけちゃう日もあるとは思う。
そんな日には宝くじを買うようにしよう。