2020.02.13

本当に今週はだめで、体調も悪ければ気分も塞ぐ。勤労意欲は普段から低いが今は壊滅的だ。毎晩きょうこそは帰宅したら、僕は意味もなくただただ悲しいのでとにかく五分間抱き締めてくれないか、とお願いしようと思うのだけど、帰ると奥さんの顔を見るだけで元気になってしまう。もしくは奥さんはまだ帰っていなくて待っている間にリングフィットアドベンチャーをしてそうして体を動かしていると元気になってしまう。それで昼から夕方にかけて毎日同じことを思う。


きのうはお休みだったのでどうしたって僕が待つ側になる。日中に運動から夕飯の支度まで済ませてしまったのでただ待つことになる。それで各種動画配信サービスを駆使して『シャザム!』をみて、『寝ても覚めても』をみて、『スノーピアサー』をみた。

『シャザム!』は古き良きアメリカ映画の「家族」の伝統を引き継いだいい作品で、アメリカは昔から親の不在をふつうに描く、子供はこういう映画をみて育つ、親や兄弟は自分で選べるということを教わる、それは頼もしいことだと思う。

寝ても覚めても』は非常に映画! という感じで、全員の顔と声がいい。僕は『ハッピーアワー』がやっぱりどうしても好きで、でも『寝ても覚めても』も四人がはじめて顔を合わせる、そのときの四人が四人ともあまりに正直にぶつかり合う、その真正面からの衝突に『ハッピーアワー』で感じた歓びにちかいものを抱いた。やっぱり個々の人物のリアリティよりも、関係性の重心を巡って画が作られていって、重心のありかが常に画で示されるが今回はその重心が水のように常に移ろっているというか分散している。ある意味演算というか実験のような映画でしかし映画が演算や実験であってはいけないことなどなくて、数式のように高度に抽象化された重心の移動は具体的なリアリティがないからこそリアルになる。恋愛を洪水や津波のような災害として描くのも、恋愛というものに対して懐疑的な僕としては非常に好みだった。恋愛は人間関係の重心を根こそぎにする。だから生活との相性が悪い。『ZINE アカミミ』創刊号に後輩が寄せてくれたトリュフォー論にもそういうことが書いてあった。

『スノーピアサー』はとにかくソン・ガンホは色っぽいんだというのを見せつけられる二時間だった。『殺人の追憶』をずいぶん前にみて、『パラサイト』のあとに『グエムル』でだから僕は四作目のポン・ジュノ監督作だったが、毎回超絶技巧のケレン味が楽しい。そして状況は絶望的だけど未来は子供たちに託してこ、という放っぽり方が毎回辛気臭いと思う。


それでも奥さんは帰ってこなくて、『タコスのすべて』を始めてすっかりタコスが食べたくなったころにようやく帰ってきた。なんだかぐったりしてしまって寝るまで元気はなかった。