2019.12.14

外ではルシア・ベルリン。家ではボラーニョ。奥さんの仕事が忙しいので、夕飯の支度をしたり家のことをやったあと、本を読んで待つというルーティンができかけている。フアレスであったり、エルパソであったり、共通の地名が出てくるたびに、あ、と思うが、ほんとうに両方に出てきているのか、なんだか混じってしまっているのか、よくわからない。そもそもフアレスとエルパソは国境線によって分断された一つの土地の名ではなかったか。これもまたかなりいい加減な記憶であてにならない。


テキサスとメキシコの境界は「リオ・グランデ(大きな河)」、メキシコでは「リオ・ブラボー・エル・ノルテ(北の怒れる河)」と呼ばれる大河によって定められる。この河を挟んでエル・パソと向かい合うのはチワワ州シウダ・フアレス。サン・ディエゴとティファーナ、ラレー安東嵩史ドとヌエボ・ラレードなど、両国の国境線上には、このような「双子の街」がいくつもある。

 

これらのボーダータウンでは、両国の往来、特にメキシコ側から来て帰る人の姿は日常的だ。例えばここエル・パソとフアレスの境では、アメリカ側からは安い歯医者や眼科にかかりに、ドレスやタキシードを安く買いに、もしくは夜遊びに。逆にメキシコ側からは、スニーカーや日々の食料品を買いに、あるいは国境の手前で「メキシコっぽさ」に満足して引き返す観光客に〝メキシコ土産〟を高く売りつけに。アメリカからメキシコへはパスポートすらノーチェックで、その逆はうんざりするような入国審査の行列に並ばなければならないことを除けば、両側の生活圏は溶け合っている。それもそのはずだ、ふたつはそもそも同じ街だったのだから。

 

カリフォルニア、アリゾナニューメキシコ、そしてテキサスといった地域はかつてスペイン〜メキシコ領だった。300年以上の征服史の中でスペイン人と、コロンブスの大いなる勘違いによって「インディオ」と呼ばれた先住民との混血が進み、褐色のアメリカ人となった人々が住んでいた。しかし1848年、東から来たイギリス白人の国=アメリカ合衆国とメキシコの戦争の結果、土地は合衆国に併合され、彼らはそのまま取り残された。双子の街は、その頃に国境線で分断された生活圏のまま存在している。初めに生活があり、それを他者が隔てたのだ。

安東崇史「国境線上の蟹」 トーチweb 老後を考える 【国境線上の蟹 3】 


「国境線上の蟹」はかなり好きな連載で、WEB連載の場合気になったときにすぐに読み返せるところがよかった。検索窓が本棚になる。生活者の実感と観光客の鳥瞰が混在した嘘のない文章だと僕は感じていて、そういう文章はとても誠実だと思う。『馬馬虎虎』もそのように読んでいた。当事者になりきらないこと、すこし居心地の悪いところに留まり続けること。よそ者として、よそ者を、理解も共感もしきれないままに思いやること。