2020.05.19

引き続きジェームズ・C・スコット。国家の黎明期、すでに人は密が疫病を呼ぶことを自覚していた。農耕や牧畜のために人だけでなく動物も植物も微生物もウイルスもぎゅうぎゅうに集まって、その環境に凄い勢いで適応していくこと。疫病というのは、人が集合し出したのと一緒に生まれ、進化してきた。いまアフターだのウィズだのバズワードでざっくり語られているようなことなんて、つねにすでに人類が連綿とやってきたことでしかないのだ。あたらしさなんかない。ウルクの時点で、人類はそれを知ってた。

 

堀之内出版の『労働と思想』も読む。最初のシェイクスピアを楽しく読めなくて諦めかけたけれど、ロックからぐっと面白く、所有というものから労働に迫っていくのは刺激的だったし、『大洪水の前に』の著者によるヘーゲルを経てのマルクスに至るまでの流れがとても綺麗だった。所有できなかったものたちの賃労働。このへん、僕は一介のケチな会社員として、一冊の本にまとめたいという思いがふとやってきて、たぶんこれは実現されるだろう。僕は労働や経済や政治が、つねに管理者の理論、経営者の理論、使用者の理論でしか語られないことが不満で、自分を侍に例えるサラリーマンの寒さに近いものをずっと感じていて、いやお前は何も持たない側じゃん、使われる側じゃん、という気持ちがずっとある。持たざる側の論理や思想の構築という意味で満足できた本は僕は『日常的実践のポイエティーク』と『飯場へ』くらいだった。せっかく僕は会社員なのだから、管理される側の思想というものを、僕なりに素人としてブリコラージュしてみたいと思っていて、きょう『反穀物の人類史』と『労働と思想』をちゃんぽんしながら、そのアウトラインが見えた気がしたのだった。

無名で、目立たない凡庸な賃労働者の思想。そういう本がなぜ少ないかって、無名であるからだし、凡庸であるからだ。そもそも著者が見出されないし、見出せたとしても売れはしないだろう。つまり、個人が勝手に作って、勝手に売るしかないのだ。つまり、僕だ。僕が読みたいから僕が作る。無名で、凡庸な会社員の思想書を。奇書になるだろう。

 

箸休めは『仕事文脈 vol.16 特集:東京モヤモヤ2020』。しみじみいい雑誌。きょうはずっと本を読んでいたな。