2020.06.26

資本主義において、陰謀や悪事を一手に引き受ける人格なんて存在しない。あるのは明らかな不道徳を次々に生産するシステムの構造そのものだけだ。陰謀論の幼稚さは、構造でなく個人の意志に原因を求めたがる知的怠慢にこそある。空虚を中心に迷路のように組み上げられる官僚システム。そこでは責任を追及される行為者が存在しないまま、気がつけばたとえば環境問題に関しても、廃棄物予備軍を量産する企業ではなく、エンドにいる消費者個人個人の「心がけ」にまで責任が切り詰められていく。どう考えても、構造の問題を見ることなしに、個人の倫理にぜんぶ負わせようとするのはナンセンスだ。ここで企業に勤める個人個人にこそ責任を追及するべきだというのもナンセンスだ。個人をそのような明らかに不道徳な行為に誘導するような組織のシステムそれ自体をこそ問い直すべきなのだ。

クソな政治家や下品な成金は便利なスケープゴートに過ぎない。わかりやすい枝葉ばかりを見て、そうしたクソや下品を通用させてしまう構造自体に盲目になってはいけない。資本主義リアリズム。それは、よくない結果を永久に産出する構造の存在自体には気がつきつつも、そうは言っても当面の生活はしていかなきゃいけないし、いまはこれしかやりようがないじゃないか(There is no alternative)という物分かりのいい現実主義の諦念だ。マーク・フィッシャーはそういうようなことを言っているっぽい。わかる。


数日寒いくらいだったのがきょうはとても暑い。かなり久しぶりにアイスコーヒーを買った。

 

夜はうるせえ居酒屋で餃子を食った。