2020.08.16-18(1-p.220)

楽天モバイルの通信料に天井がないやつにして、MacBookiPadテザリングでまかなえてしまえば、ポケットWi-Fi も解約できる。それを言い訳にiPhone を買ってしまったわけだが、すでに後悔している。なぜこれまで頑なにガラケータブレットで済ませてきたのか、それは安さではない。僕はスマホが大好きなので、あるとずっと触ってしまうからだった。刀剣乱舞はとりあえず62振りはもらっておいた。奥さんと一緒に舞台を見ていたからどの子がダンピールでどの子がトランプかよく知ってる。入り口って大事。 FGO はあっというまに冬木とフランスも修復した。サポートの書先輩方のおかげでサクサク進む。星5が欲しい。

これを書いているのは18日の22時6分。今朝SIM も届いて、いよいよ通信環境も最適化された。ローマを修復し、サマーキャンプも満喫している。この前『13日の金曜日』を観ておいたことがこんな形で役に立つとは。めっちゃガチャ引いた。イリヤちゃんを引いた。二枚。レアリティくらいしかよさの基準が分からないからこの子を推しとした。幼い子が露出の多い格好をしているの、割と無理なのだけど、屈託なく楽しそうだからいいや。夏休みっていいよねー。ソシャゲは読み物なのでゴリゴリに読書意欲を削る。というかすべての時間を溶かす。この三日間FGO 以外の記憶がほとんどない。

たかがデータ、しかも絵。シミュラークルの極地のようなソシャゲの世界。そこにお金や時間を浪費していく人たちの姿は、我々がかつて「未開」とラベリングした異世界の祝祭にどこか似ている。彼らはデータをデータとして見るのではない。もっとなにか、この世界を見る見方からして、外部の僕らとは異なるコードに基づいている。しかも表象それ自体ではなく、表象を所有できるかもしれないという可能性にお金を払うこと。マルクスを読む唯物論者として、その事態はかなり面白そうだった。それで自分もやってみようと軽い気持ちで始めてしまった。それがよくなかった。ソシャゲは紙芝居でライトノベルTwitter だ。掘ろうと思えば掘れそうで、ただ眺めるだけでもよい、懐の広いテクストの塊。活字だったらなんでもいい、なんならTwitter よりクオリティが担保されてるからいい、そんな気持ちで、液晶を見るほとんどの時間を僕はマシュと過ごした。

日記すら書かない。本だろうがソシャゲだろうが、ただ楽しいだけで何も生み出さないのは同じことだった。だから日記は書けたはずなのだけど、ちょっといまそれどころじゃない。

音は効果音と声だけにして、バックグラウンドではPodcast を流している。オムラヂ──ずっとオムラジと表記してしまっていたことに今更気がついた──の400回目を聴く。すごい継続だ。往復ラジオがまだ続いていて、嬉しくなる。そういえばソシャゲをやってばかりいたわけじゃない。寅さんも三本観た。ジョーズだった。