2020.10.18(1-p.325)

『山學ノオト』を読み返す。いただいた直後にエッセイ部分だけ読んでいて、冊子にもあった日記部分をこうして通読するのはイベント当日になってしまった。やっぱりとてもいい本だった。手触りから読み口まで、調和していると言うか、無理がないいい塩梅が滲み出ていて、モノとしても文字としても気持ちがいい。

きょうはお昼過ぎから夜まで通しで「H.A.Bノ冊子フェス」。僕も出るのだけどそんなこと忘れかけるくらい、皆さんのおしゃべりが楽しみだった。トップバッターの友田さんの、アイデアはだいたい自分に発言の必要がない打ち合わせ中なんかにやってくる、トークイベントなんかも話されていることよりも、ふとした単語から始まる考え事に途中から集中してしまって内容が頭に入ってこないことが多い、だから人の話というのは、案外みんなあんまり聴いていなくて、その空間や音につられてやってくる連想や脱線こそが面白いのではないか、そんなお話をされていて、僕の本の読み方というのはずっとそんな感じだったし、人の話もきっとそうだった。番組はずっと流しっぱなしで作業にとりかかり、いろいろなことをとりとめもなく考えていたので、自分の順番になるととりとめもないような話ばかりしてしまった気がするが、聴いているほうで何かしらの脱線や飛躍が生まれてくれていればそれでいいや、と喋っているこちらは気楽なものだった。

おひらきになってすぐ夕飯で、打ち上げも帰り道もないというのはやはりすこし物足りなかった。

小野寺さんの勤労と表現の往復の話は聴いていてああ小野寺さんと飲みにいってみたいと思えたし、笠井さんの製本の技術的な話も面白く紙の束を囲んでもっとあれこれお話を聴いてみたいとなった。山本さんにはフランスのバカンスにおける金銭感覚の話なんかを伺いたくなった。総じてこの方たちとのお喋りにも混ざりたいなあ! と思えるようないい時間で、長電話のようで楽しかった、という青木さんの言がまさしくで、まだまだ話していられるような気持ちでいる。明日更新のポイエティークRADIO は打ち上げがわりにこれから録音するのだけど、録音の前に日記を書くように言われてこうして書いている。当日の日記を当日のうちに書くのはずいぶん久しぶりのようにも感じる。

奥さんは言語優位、僕は視覚優位とのことで、僕は文字よりも三次元的なものの捉え方のほうが得意ということらしかった。へえ。