2020.03.22

朝、奥さんと順番こでRFA。奥さんが体を動かしているあいだに『NEXT GENERATION GOVERNMENT』を読み終える。

FGOの最後の二話をまとめてみる。ラスボスが出てきてからの展開はかったるく、というかこういう展開は僕は決まって内村光良松本人志のコント「殉職」を思い出してしまう。ゲームもやっている奥さんと話しても、これはやっぱり雑に感じるらしい。ゲームでのバビロニア篇の特色は、ここまで戦場にだけ現れては任務を遂げてきた二人が、ウルクの街での暮らしの主体者にすらなる点だという。そうやって積み上げてきた暮らしの破壊が、安易な総力戦に回収されてしまうの、釈然としない、というような話だったと思う。

最後の『へんたつ』がたった1分半でラスボス戦の飽きるほどの壮大さを表現しきっていて、性格が悪いな、と思いながら大喜びした。そう、1分半あれば充分なのだ。


奥さんが行きつけ候補の鍼灸師に教えてもらった看板すら出ていないあやしいラーメン屋めざして出かけ、店は確かに知らなければ廃墟か何かだと思って気にも留めないような外観で、ラーメンはおいしかった。

それから川沿いをのったらくったら散歩した。半袖でいいような陽気で、奥さんは足許の草花の名前をいちいち点呼していった。僕は植物の名前がさっぱりわからないので関心していた。アスファルトテントウムシが横切っていくのを見た。奥さんは鳥の名前は知らなかった。あの細っこい足が長くて尾も長くてお尻を上下に振るように歩くあの鳥が好き、といった。僕はシジュウカラだっけ、といったがオナガだったかもしれない。僕は鳥も知らない。その河原で名前を呼ぶことのできたのはテントウムシくらいだった。あとタンポポ。冷たい炭酸が飲みたい、と二人して言った。


帰宅して夕方まで奥さんは眠りこけていた。僕は静かに本を読んでいた。パウル・クレーの『造形思考』。上巻の半分くらい読んで、デザイナーや画家の言葉というのは、言葉の使い方としてはおそらくかなり我流であり、要するに素人臭い。Amazon のユーザーレビューに一定の確率で出現する怪文書のような文章に近い。文の構造は破綻していないので、たしかに文章っぽいのだが、前後の文脈や、ある語の定義が取りづらいのだ。でもだからこその面白さがあって、てきとうに読み流していった。それから前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』。たのしい。自治、ということをしつこく考え続けていて、午前中に読み終えた若林恵もこれからの可能性を「ローカルガバメント」要するに地方自治体に見ていた。大きすぎない規模での自治。それで読書会だった。個でなく集団で読むこと。


奥さんが起きだして、夕食を作る。最近は同居人が毎日お店に出すような料理を作ってくれるので、僕たちはそれに甘えきっていた、つまり奥さんの料理は久しぶりだった。ラゲーライス、春キャベツとハンバーグの蒸し煮。

僕は役立たずだったので奥さんがてきぱきとしているあいだ、『読書の日記 本づくり/スープとパン/重力の虹』を読んでいた。毎日ちみちみと読んでいる。日記本はどれもそうだが、一気に読み進めるようなことをする気にならない。阿久津さんの読書日記に至っては毎週土曜の朝に配信される一週間分の日記を一気に読むというのをしているからこそ、本の形では二三日読んですぐに満足するらしかった。液晶より紙のほうが遅さを許容してくれる。『読書の日記』では『波止場日記』が買われていた、日記本は寝る前にちょっとずつ読みたいとあって、まさに僕はこの日記をそのように読んでいる。


食後に『ドロヘドロ』。寝る前ウェイリーのゲンジ。アオイを殺めたのがこの人だと確信しながらも、ゲンジはロクジョウを訪ねる。