2020.05.17

あした晴れたら浅草あたりまで長々と散歩したい、と告げて寝たのが昨日で、晴れたのでお出かけすることにした。とても久しぶりのデートでうきうきする。

せっかくだったら帰りしなに好きなお店でテイクアウトもしたいよね、お店が16時からとのことだったので出発は昼食後として午前中はのんびり『帳簿の世界史』を読み終え、ソファで奥さんはまどろんでいて、解説で長い歴史上つねに重要でありながらほとんど正確に付けられ監査されることのなかった帳簿の歴史のブレイクスルーとしての仮想通貨という話があって、なぜなら仮想通貨とは帳簿がそのまま通貨になるようなものだあらだという指摘に、なるほどーと思い、帳簿面白いとなっているいまなら読めるかも、と買って斜め読みしただけの『blkswn paper 黒鸟雑志 NEXT GENERATION BANK』を引き出してきて、次はこれかな、と思いながらも、一方で最近の僕の最大の関心ごとである人が人を「管理」するってなんだよという文脈で、ルヌガンガで買った『反穀物の人類史』をとうとう読むぞとも決まっていて、とりあえず反穀物を試してみたらべらぼうに面白そうだった。お金、そして「管理」。それが僕のもっぱらの関心だった。

 

いよいよ家を出て、こういうとき家のメンバー間で衛生観念の齟齬があるとつらいだろうな、と思った。奥さんとは違和があったらすぐさま言語化するという信頼があるから、なんでもなく外出を提案して、こうして簡単なお出かけで気分転換を行えるけれど、暗黙の慣習でなあなあにやってきたような人たちにとって、いちいち価値観や感覚の差異と向き合わざるをえない今の状況はかなりハードなんじゃないか、という話をした。そうだね、と言われた。

 

昨晩は布団で奥さんと政治の話をしていて、散歩中もそうだった。右翼/左翼って保守/革新という意味でしかないはずなのに、なぜだかイメージが固着してしまっていて現状を左右で整理しようとするとわけわからんくなる、保守/リベラルという区分がまずすでに混乱しているよね、とか。保守/革新と等号で結ぶとしたらいまはネオリベラリズムリベラリズムのほうがまだ遠くないはずで、保守のほうがネオっていうのが直感に反しているようでわかりづらいんじゃないか、とか。友敵のような二極で考えるともうわからなくなるのが今の政治で、いちばん簡略化するにしても個人/全体の軸と、大きな政府/小さな政府の軸とで整理する必要があると僕は思っている。このへんの整理を基礎の基礎から、感情的なクソリプにおびえる必要のないところでしっかりやっておきたいよね、という話をしていて、ある程度クローズドで、政治の話を、安心して間違えたり勘違いに気が付いたりしながら、冷静に理屈の部分を準備しておく機会を作りたいなーといまは考えている。たとえばZINE の制作という名目でそういうことができないかな、とか。一個の成果物を目指して協業する、みたいなスタンスが、感情的に陣営に分かれてやりあうより手前で、自分なりの視座を練り上げるためには必要な気がする。そんなことをごちゃごちゃと話して、奥さんが大学で専攻だった史学の知識を交えながら応答してくれたおかげで、以上のようにびっくりするぐらい整理された。

 

H.A.Bookstore に到着。軒下の看板があたらしくなっていて、格好よかった。隣のレストランは路上に堂々とイスとテーブルを展開し、炎天下の中ワイングラスを傾けているおじさんの前を歩行者は必ず通ることになる。おじさんはいちいち声をかける、飲んできませんか。いいなあ。

階段を上るだけでほっとする。先日出勤ついでに大型書店に出かけたときは僕はそれも好きだけれども答え合わせのように既知の欲しい本を最短ルートで手にしていくような、スタンプラリーのような買い方をしてしまいがちだった。個人の目の届く範囲で営まれる書店というのは、来店する個人としても全部を見尽くせるかもという幻想を抱くことができるので、まだ見ぬ問いを探して棚を舐めるように見る。特に店主への信頼ができている書店では、思う存分未知を喜べる。これは今の僕にはまったくわからないが、なんとなく気になる、そしてこの棚にあるということは、僕は読めるということだ、というような。僕はそういう書店とのかかわり方が非常に好きだ。気がつくと顎に手を当てて、口も半開きにさせながら、左から右、上から下へと一冊一冊の背表紙を眺めている。夢中で眺めている。それで沢山買った。いますぐに読みだすような本ではなく、これはどこかで必ず読むことになるなという本を買った。レジのところに『ODD ZINE』があって、わあ! と喜びそれも買った。『プルーストを読む生活2』がお店に置いてあるところを初めて肉眼で見た。それでようやく『2』が出たんだなあ、という実感がやってきた。つづ井さんは、ほんと元気が出ますねえ、などとお話しして、出る。

 

めちゃくちゃに暑くて、二人ともゆだっていたのでフグレンですこし涼む。お目当てのお店は予約が必要だったみたいで、それはそうだよな、と諦めて別のお店のテイクアウトを打診。こちらは当日でもいけたというか、準備できるまで歩いたりして時間をつぶせそうだったのでお願いして、長々と散歩。駅前のベンチにはキープアウトの黄色と黒のあのテープがバッテンに貼ってあって、外でも長居はしてはいけないらしい。近所の人と思わしき上品な老人が、テープの隙間にしれっと腰かけて気持ちよさそうに日向ぼっこしていたり、剥がされたテープが足元で丸まっているまま楽しそうにおしゃべりする人たちの姿を、僕は頼もしく思った。

 

帰宅してテイクアウトした串や、同居人が作ってくれたポテサラで夕食。お酒も進んで、久しぶりに楽しい休日だった。一か月ぶりに明日は月曜、という憂鬱がやってきて、新鮮だった。存分に遊ぶことをしないと、漫然と働き休んでしまうので、休日と平日の境目があいまいになってしまうようだった。きょうはちゃんとお休みだった。奥さんと僕のために生きた。