2020.05.18

『NEXT GENERATION BANK』はいま読むとすんなり入ってきて、通読された。お金というのを信頼のシステムだと定義したうえで、信頼というものの形がこれからどう変容していきうるのか、という話だった。これまでどうしたって人間の手によって恣意的に操作されることを避けられなかった信頼のシステムのポジティブな変容をアルゴリズムに期待するという感じで、たしかにアルゴリズムは人間よりは嘘をつかない。しかし人間の偏った価値観の影響を受けないデータもまたありえないわけで、どれだけ公正な制度設計が可能かというのは依然人間の仕事だ。

感心したのは以下の記述。

 

ルドルフ・シュタイナーの社会有機体三分節化論によれば、社会は「政治・法」「経済」「精神・文化」の3つの領域に分節化されねばならず、「政治・法」では平等の原則、「経済」では友愛の原則、「精神・文化」では自由の原則がそれぞれを支配するとされている。


この三分節は、フランス革命において掲げられた3つの理想でもあったが、「自由・平等・友愛」の3つが統一国家のなかで混成されて解釈されたことこそが社会問題の根源である、とシュタイナーは指摘した。新自由主義をはじめ、経済や政治が「自由」を標榜することで、民主主義までもが崩壊してしまう歴史の局面にわたしたちは立っている。自由は政治と経済を支配するのではなく、精神と文化を支配するものであり、自由の拡大解釈が現在の経済に関わる根本問題であることをシュタイナーは語っている。

若林恵 編『NEXT GENERATION BANK 次世代銀行は世界をこう変える』(黒鳥社) p.115 武邑光祐「お金は、あなたの「声」になる」

 

左右やリベラルという言葉の解釈の混乱について考えていることと合流するものがある。やっかいなのは「自由」というものの考え方で、これをどう腑分けすればいいのやらという問いに対して、この記述は有効そうだ。「自由」は個人の精神や、その結果としての文化について適用すべき論理であって、経済や政治にやたら持ち込んでいいものではなさそうだ、というのが最近の仮説だったので、整理のとっかかりをようやく掴んだ気がした。

 

経済というのは個人の活動を活性化させることを是とするべき、というスタンスが僕は好きで、マイクロ・アントレプレナー、要は個人事業主に最適化されていく未来図にはわくわくする。『反穀物の人類史』の狩猟採集にこだわる古代の人たちへの共感も、似たようなところから来ているのだろう。『反穀物の人類史』も面白くて、ストック型の農耕かフロー型の狩猟採集かという二者択一の問いの立て方がまずまずくて、人類は理知的にストック型フロー型の両輪を上手く使いこなしていく生存戦略をとったはず、という指摘にぐっとくる。選択肢はつねに多いほうがいい。会社に行けなくなってから、会社員である僕は、ひとつの方法に依存しきらない「百姓」的な生存戦略についてぼんやりと考えているらしい。ありていに言えば複業というやつだ。個人単位で小さくできること、ないかな。