2020.03.08

朝目が覚めるとビアードパパが欲望されたので午後は近所の商業施設まで出かけて行った。クッキーシューを食べて、おいしかった。それからなんとなく家に帰りたくなくて漫画喫茶に入り、『ONE PIECE』を三年分くらい読んだ。昨晩、自分は小学生のころから高校時代いっぱいいくらいまで「ほぼ日刊イトイ新聞」をほぼ毎日読んでおり、糸井重里から人格形成期に大きな影響を受けているが、近年の彼のアップデートされていなさを思うと、僕の中のイトイ成分とそろそろ決着をつけなければいけない、というような話をしていた。

かつて「サルのおせっかい」というカップラーメンに熱中し、『言いまつがい』の変テコな製本に笑い、「モギがカボチャをくり抜く60分」をわくわくと追いかけ、木村俊介を知り、なにより保坂和志という作家を知った。ほぼ日の、時流やタイミングなんて気にせずに自分がいい! と思ったタイミングで取材して記事にするというスタンス──出版から何年も経った本や、ある映画が封切りされて数か月後に突然特集を組むこともあった──など、今でも有効なものはいくらでもあるので、全部を捨てるわけではないが、昨日の今日でさっそくTwitter でダサいやらかしを咎められていて、タイムリーだね、と奥さんと苦笑する。


それで、『ONE PIECE』もほぼ日と同じくらいの時期に親しんで、いまは心底楽しむというのが難しくなったコンテンツのひとつだった。価値観をアップデートし損ねて致命的にダサい部分が大いにあるが、それでも過去を過去として捨て去っていくのもなんだか極端で、水戸黄門をそういうものとして楽しむように、そういうものとして楽しむことはまだできる。お約束の展開の反復というこの冒険活劇は、反復であるからこそ差異が際立つ。サンジの過去編において血縁というものを相対化したことには小さくない意義があったはずで、『僕のヒーローアカデミア』の新刊で描かれるエンデヴァーの決意なんかにも繋がっていく。『ONE PIECE』においては、いまだ親の業を子が清算せざるを得ないという話であったが、『僕のヒーローアカデミア』においては自身の業を自身で引き受ける親のあり方が模索されていて、少年漫画の価値観の刷新スピードにすこしだけ希望を持ちたくなる。

しかし午前中に水木しげるの『総員玉砕せよ!』を読んだこともあって、『ONE PIECE』の自己犠牲で泣かせにかかるスタンスには鼻白むしかなかった。


ちなみに奥さんは『ファイアパンチ』を読んでいて、感想を訊くと、ニール・ブロムカンプ並みの四肢欠損への熱意を感じる、とのことだった。