2020.03.13

昨晩は息苦しさを覚えて何度も目が覚めた。奥さんも眠れなかったらしく、二人して明け方にゼエゼエ喘いでいた記憶がある。僕は喉が焼け付くように渇いて、これは諦めて起きだして水を飲んで来よう、と決心したのは一度や二度ではなかったはずだが、毎度決心と同時に気を失ってしまったようで、水は飲めていなかった。今朝の体調は絶不調だった。日中もこのまま気圧が下がるらしい。


ここ数日は『クレーの日記』を買ってもいいという気持ちになるためにクレーのこともっと知りたい、と思われ、図書館で『教育スケッチブック』を借りて読んで、Title で買った『クレーの食卓』も読んで、すっかり日記への興味を強めている。それもあって、技術についての思索や習得に興味が移っていって、バカの考えた天才ことジョッシュ・ウェイツキンの『習得への技術』も読んだ。チェスのトッププレイヤーから武術の世界に転向してそこでも世界トップクラスの成績を残すというあまりにも少年ジャンプなキャリアに基づいた、あまりに亀仙人的な修行の方法論。実体験の描写がいちいち面白くて、極端な競争の世界の住民たちは漫画以上に漫画のようだった。チェスと武術とを統合する共通の法則を東洋思想に見出そうとするのもまたベタに漫画だった。


今日からはジェームズ・C.スコット『実践日々のアナキズム』。たぶんミシマガジンで知ったのだろう。アナキズムだし。副題の「世界に抗う土着の秩序の作り方」がいい。香山哲の『ビルドの説』を想起する。「自分の快適や充実を、ない場所に作りだすこと」。それで読みだすとさっそくセルトーの『日常的実践のポイエティーク』みたいだな、と思わされる箇所にいくつも出くわす。セルトーは図書館で借りてとてもいい本だったので買いたかったが古書でものすごく高価だ。はやく復刊してほしい。今こそ必要な本だと思う。実践を準備し、力づけるための思想。

これの次は酒井隆史の『自由論』か前田勉の『江戸の読書会 会読の思想史』を読むつもり。地べたからの実践を読書会に見ていくのだったら、そこからさらに北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』に進むのもよさそうだった。

これだけ元気がなくても読む気力だけはあるというか、気力なんてなくてもただ本だけは読めるということにいつも新鮮に驚くというか呆れる。