2020.04.12

 

この気温差と気圧の効果は厳しい。明日もまたぐっと冷え込むらしい。厳しい。

奥さんは一日ぐったりとして、布団にまるくなり、虚ろな目でFGOを操作していた。僕は昨晩二人で書いた『ZINEアカミミ』の原稿をインデザインに流し込み、仮決めのページ組を行ったデータを編集部内で共有した。火曜にこれをもとに打ち合わせ、編集後記を揃えたら完成となる。

 

頒布の仕方について、方々に連絡し方策を練る。この状況なので、生煮えの状態でもいいからとにかく走りながら、動かしながら考える。ある程度できたら、寝かしたままにしておいて、経過をただやり過ごす。ただ待つ、というのは熾烈な行いだ。ベケットはまだ読みだされない。

 

Twitterでわかしょ文庫さんに「力強くて元気の出る海外文学」としておすすめしたアレナスの『めくるめく世界』が読みたくなって開くとあっという間に夢中になり、マジで今これは元気出るな、と壮大なほら話を明るい気持ちでどんどん読んでいった。

 

同居人がクルミッ子を自作して、おいしかった。

お茶の後はABCで買ったウェルビーイングの本を始める。しゃらくさいが、僕はABCではしゃらくさい本を買う。『設計論』が面白かったので、この社会への実装が模索されるであろう本書はとても楽しみにしていた。もちろん、いま編集しているZINEのテーマである「ごきげん」とも響き合う。

 

(…)「わたしたち」という個の集合的な総体のウェルビーイングを想定し、そのウェルビーイングを複数の「わたし」がつくりあうのである。つまり、「わたしたち」のウェルビーイングとは「競争」するものではなく、「共創」するものなのだ。もちろん、「わたし」を失わせ「わたしたち」に重きおくべき、と主張しているわけではない。「わたし」のウェルビーイングを追い求めつつ、「わたしたち」のウェルビーイングを共につくりあう、重層的な認識によってウェルビーイングを捉えていく必要があるということである。

では、どうやって「わたしたち」のウェルビーイングをつくりあうことができるのだろうか?
そのためには、何よりも他者との関係性を捉え直す必要があるだろう。現代社会では、社会の分断化が叫ばれ、異なる他者を退ける言説が衆目を集めやすい。だからこそ、漫延する個々人を切り離す思考をうまくほどいていかなければならない。わかりあえなさのヴェールに包まれた他者同士が、根源的な関係性を築き上げ、共に生きていくための思想、実践、技術が求められている。(…)
渡邊淳司/ドミニク・チェン 監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために──その思想、実践、技術』(ビー・エヌ・エヌ新社)p.4-5