2020.09.16(1-p.292)

さいきん日記は気がつくと二日や三日溜まっていて、それは僕がいい加減になっているのもあるが在宅中心の生活がすでに半年以上続き、読書と日記の時間であった通勤時間が減ったこと、その少ない通勤時間もFGO が占めていることなどで、本を読んだりそれに触発されて書いたりというサイクルが少なくなり、そうすると体感時間はあっという間に短くなる。僕は実生活というか、日々感じていることなんて具合わるい、頭痛い、足がだるい、くらいのバリエーションしかないので、本を読んでいないと書くことがない。でもこれは日記に関してだけでなく、たぶんこのぬるっと明けつつだらっと続く自粛とやらの気分が、日々を凹凸のないスムースなものに変容している予感があって、だからすでに半年こういう状況が続いているということにギョッとする。
 
いまは仮に「マルクスを読む生活」だぞという気持ちで日記を書いているが、これをまた本の形にまとめるかどうかは結構微妙で、プルーストの時は個人的な記憶への脱線というぼんやりとした方向性があった。マルクスの場合は、すぐに社会だの資本制だのと大きな主語の方向に引っ張られる感じはあるが、これはこのCOVID-19 による状況の変化と非常に相性がよくって、端的に言って誰もが書きそうなことばかり書きそうな気がしてつまらなかった。マルクスが僕という読者を経由して社会に接続していくような書き方は安易だ。僕という個人がマルクスやほかの本を触媒に社会に触れていくようなのでも不十分だ。これはあくまで個人の日記なのだから、マルクスを読むことによって僕の生活がどのような変調をきたすのかに集中したい。社会はそのあとでいいというか、個人の事情を先立たせることなしに生活はあり得なかった。
マルクスは、生活と相性がよくない。
 
だからまだ日記の調子がつかみ切れていないようだった。