2020.07.23(1-p.170)

朝MoneyFoward のメールで、きのう大きな額の振り込みがあったとの通知があって、身に覚えがなかったのでざわついた。眼が冴えてきてから、祝日の関係で給与が前倒しになったのだと気がつく。そうだとしたら大した額ではない。もっと欲しい、というか、誰もがもっと高く労働力を売ることのできる世がいい、と思うのだが、じっさい二月からこっち、あまり外に出ず、家計としては支出が極端に減っているので、足りない気はしないが、たとえば倍あったらもっと自由度が上がる。上がった自由度でなにか面白いことや、助けになることができるというか、長期的な投資みたいなことができるだろう。なんだかんだで、目先のことでやっとのような気持になってしまう。たぶんそれはいくらあっても同じことなのだけど。

こんなに貯金してどうすんだろ、やっぱり投資とかやってみたい? と奥さんに問われ、やってみたいが僕にとっては好きな本屋でしこたま本を買うというのがいちばんの投資なんだよな、というようなことを応えた。それが先週くらいのことだったが、やっぱり投資やってみたいかもしれない。でもそういう慣れないことを考えたり検討したりするようなこと、できる気がしない。時間はあるはずなのに、頭がうまくはたらかないというか、かなりキャッシュが溜まってる感じがある。ひとりの時間が欲しいのかもしれない。僕は一人になれないとダメになるのだけど、奥さんとは平気でいつまでも一緒にいれるのは奥さんとは空間を共有していてもお互いにひとりになれるからで、お互いにひとりになっているときの存在感はうちにいるカメや、祖母の家にいる猫たちにちかい。関心のなさが気持ちがいい。構ってほしくなったらそばによればいいし、気楽だった。

いま家には同居人もいるし、三人ともだいたい在宅のため、いや、あんまり他人は関係ないな、一人暮らしの時も、ずっと家にいると誰も知っている人のいないところで静かに過ごしたい、という思いがむくむく起き上がってきた。家にいすぎると、生活から逃避したくなるということだ。奥さんがここ数日パアッとしたいね、と楽しそうな宿や施設について調べて教えてくれて、遠出をしたそうなのも、似たような気持ちなのかもしれない。感染者数の推移を見ていて、なかなか遠出する気にもなれないでいて、あいまいにしてしまっているけれど、遠出、したいよなという気持ちはたしかにある。東京の西側はいいかもしれない。県をまたがなければ感染が広がらないというわけではなく、移動は常にリスクなのだけど、もういいや、そのへんは。そろそろ自分のメンタルがもたない。てきとうなところで折り合いをつけて、うまくやってしまいたい。

 

食べ食べガエルのツイートで知った『ザ・サンド』を観る。AmazonPrime ではなぜか吹替だけで、字幕はレンタルしかなかった。吹替だといっそう頭の悪いB級感が増して、よかった。トルネコを遊びながら流し見ていた。

 

『失われたモノを求めて』はきのう書下ろしの表題作を読んで、そのまま後半に行こうかとも思ったけれど、いったん『分解の哲学』。藤原辰史は僕は共和国でナチスのキッチンだった。序文を読んでそこからの発展という面もあると分かり、より一層楽しみだった。じっさい楽しかった。無用と用の循環、モノでなくなってしまったものを再びモノや準-モノへと作り替えること、分解の話はそのまま失われたモノの話と響き合う。

 

寝る前、『アンブレラ・アカデミー』。エレン・ペイジのほとんど動かない表情筋で、眉と瞳の微細な動きだけで、悲しさから苛立ち、殺意までを表現する演技がすごいねえ、と奥さんと話した。半年くらい前に三話くらいで止めていたのを再開していたのを今日見終えて、この終わりでシーズン2を待たされるのすごい嫌なので、このタイミングで観てよかった。来週にはつづきがくる。